アントニー・ジアカローネ
アントニー・ジョゼフ・ジアカローネ(英語:Anthony Joseph Giacalone、1919年1月9日[1] - 2001年2月23日)、通称:トニー・ジャック(Tony Jack)は、アメリカ合衆国のマフィア幹部。デトロイト・パートナーシップのカポレジーム、ストリートボス。若いときにデトロイト・マフィアに加わり、ブックメーカーの使い走りをした後、ボスであるジョゼフ・ゼリリの手下になった[2]。ジアカローネと弟のヴィト・ジアカローネは何十年にもわたってデトロイト・マフィアの対外的な顔だった[3]。1975年に起きたジミー・ホッファ失踪事件で捜査を受け、ホッファが失踪する日に会う予定だった2人のマフィアのうちの1人であったため、世間の注目を集めた(もう1人はジェノヴェーゼ・ファミリーのカポ、アントニー・プロヴェンツァーノ)。1976年に脱税で有罪判決を受け、10年の禁固刑を言い渡された。2001年2月23日に自然死した。妻のジェニー・ローズ・ジアカローネ(旧姓プロヴェンツァーノ)[4]はアントニー・プロヴェンツァーノの近しいいとこ[5]。
経歴[編集]
1919年1月9日、デトロイトのイーストサイドで、シチリア移民の両親の間の7人きょうだいの長男に生まれた。父親のジャコモがデトロイトのインディアンビレッジ地区で馬車の荷台から農産物を販売するのをよく手伝った[6]。父親の稼ぎによる貧しい生活とは対照的な組織犯罪のリーダーが持つ富を見て、組織犯罪の仕事をすることを志すようになった。特に父親の親戚で、デトロイトに成長するイタリア系暗黒街の中心人物であるサルヴァトーレ・"サム"・カタラノッテを尊敬していた。18歳のときに初めて犯罪に手を染め、複数回にわたる警察とのもめ事の始まりとなった。
30代になる頃にはピーター・リカボリが経営する地元のナンバーズ・ラケットの送迎係や、ジョゼフ・ゼリリのために延滞されたギャンブルの借金の取り立て係として働いていた。この2人は地元の犯罪組織で非常に尊敬されており、彼らはジアカローネを法律から守る手助けをした。ジアカローネは1950年から1952年の間に様々なギャンブルの罪で何度も逮捕されたが、起訴は免れた。1954年8月、14回の逮捕の後に最初の有罪判決を受けた。8ヶ月の禁固刑を言い渡され、裁判費用の支払いを命じられた。その後、デトロイト地域のギャンブルを調査する大陪審での証言を拒否したため、さらに7日間服役した。
1950年代からデトロイト・パートナーシップのストリートボスであったとされる[7]。1950年代から1960年代に米国議会の委員会はブラック・ビル・トッコとジアカローネ兄弟をモーター・シティでトップレベルのマフィアのリーダーだと名指しした[8]。1963年にFBIによって「重要人物」の1人にリストアップされ、組織の運営者または後継者と見なされた[9]。1960年代にジアカローネ兄弟はデトロイト・マフィアのボス、ジョゼフ・ゼリリの手下の中でトップにいたが、1977年のゼリリの死後にボスになることはなかった[3]。
1970年代に元全米トラック運転手組合(チームスターズ)会長のジミー・ホッファ失踪事件で全国的にその名が知られるようになった。1975年7月30日、ホッファは午後2時にデトロイト郊外のブルームフィールド郡区にある「マーカス・レッド・フォックス・レストラン」の駐車場でジアカローネとアントニー・プロヴェンツァーノと会う予定を知人や家族に話していたが[10]、当日の2時半に「トニーはどこにいるのだろう。彼を待っている」と妻ジョゼフィンに電話で話した後、行方不明になった。この事件の前にホッファとプロヴェンツァーノの間で確執が生じており[11]、ジアカローネが両者の確執を解決するために会合を設定したとされる[12]。マフィアたちはチームスターズ会長のフランク・フィッツシモンズと良好な関係を保ち、ホッファが再びチームスターズ会長になるという計画に反対していた[11]。ホッファがマフィアの要求に応じることも引退することもないだろうということがジアカローネの犯行動機になったのではないかという仮説がある[13]。ジアカローネとプロヴェンツァーノはFBIの捜査を受けたが、ホッファと会合を予定していたことを否定した[12]。2人ともアリバイがあり、ジアカローネはデトロイト近郊のサウスフィールド・アスレチッククラブのスチームルームで過ごしていた[11][注 1]。ジアカローネはホッファが失踪したことを聞かされたとき、「たぶん、ちょっとした旅行に行ったのだろう」と言った[14]。
1976年に脱税で有罪判決を受け、10年の禁固刑を言い渡された[2]。1979年にFBIはデトロイト・マフィアに対する大規模な捜査を開始し[8]、1996年3月にデトロイト・マフィアの17人をRICO法に定められた共謀と前提犯罪に違反した容疑で起訴した[15]。その中にはジアカローネ兄弟、ボスのジャック・W・トッコ、その甥のノーブ・トッコ、アンソニー・コラード、その甥のポール・コラード、アンソニー・ゼリリらがいた[8]。ジアカローネは爆弾事件[14]、殺人の共謀、強要、ブックメーカー、高利貸し、ネバダのカジノから隠れた利益を得ようとする試みなど21件のラケッティアリング活動で起訴されたが、健康状態が悪いため裁判にかけられなかった[16]。
死去[編集]
2001年2月23日、デトロイトのセントジョン病院・医療センターで死去した。82歳だった。死因は公表されていないが、心不全と腎臓病による合併症の治療を受けていた。ミシガン州サウスフィールドのホーリーセパルカー墓地に埋葬された[2]。ロイター通信はジアカローネの死亡記事に「悪名高きアメリカのギャング、ホッファの秘密を墓場まで持っていく」という見出しをつけた[17]。
人物[編集]
デトロイト・パートナーシップのボスであったジャック・トッコは、ジアカローネ兄弟に対して目立たないようにすることを望んでいたとされる。ジアカローネ兄弟は、他の者が刑務所に収監されないのに自分たちが定期的に長期刑に処されるような困難な仕事を行うことに不満を持ち、両者の間に緊張関係があったとされる。メディアはジアカローネ兄弟がスポーツ選手、特にデトロイト・ライオンズの選手とつるんでいたと報じた[3]。
ブファリーノ・ファミリーのアソシエイトで、ジミー・ホッファの用心棒だったフランク・シーランは『I Heard You Paint Houses』(2004年)で「あいつは好人物だった」と回想している[17]。『I Heard You Paint Houses』を原作としたマーティン・スコセッシ監督の映画『アイリッシュマン』(2019年)には登場人物の死因と没年をテロップで表示する演出があり、銃で撃たれた人物が多い中、ジアカローネのテロップは「万人に好かれ自然死」となっている。
ジミー・ホッファとの関係[編集]
ジアカローネは1975年に起きたジミー・ホッファ失踪事件の秘密を知っていたと考えられている。FBI作成のホフェックス・メモに記されたホッファの拉致と殺害に関する9人の第1容疑者(アントニー・プロヴェンツァーノ、スティーヴン・アンドレッタ、トマス・アンドレッタ、サルヴァトーレ・ブリガグリオ、ガブリエル・ブリガグリオ、フランク・シーラン、ラッセル・ブファリーノ、アントニー・ジアカローネ、チャッキー・オブライエン)はいずれも連邦大陪審で不起訴となっている[18]。1960年代にジアカローネと弟のヴィト・ジアカローネはホッファと深い関係にあった[3]。ジアカローネはホッファの妻や子どもたち[5]、ホッファの養子チャッキー・オブライエン、オブライエンの母親でマフィア・ファミリーの娘シルヴィア・パガーノとも親密な関係にあった[19]。
ホッファの金庫盗難計画[編集]
ジアカローネは弟のヴィトとともにワシントンD.C.にあるホッファが所有する金庫を盗むという失敗した陰謀に関与していたとされる[20][21]。デッドライン・デトロイト紙によると、1964年3月13日のFBIの文書には、ホッファがフロリダにいる間、ジアカローネがワシントンD.C.にあるホッファのアパートに侵入する計画を立てていると記されていた。この強盗が実際にあったのかどうかは不明である[3]。チャールズ・ブラントによると、1976年にジアカローネが懲役10年の判決を受けた2ヶ月後、政府は1961年から1963年に盗聴器で録音したテープの内容を公開した。これによると、ジアカローネ兄弟とオブライエンの母親サリー・パリスが結託し、ホッファが不在の間にフロリダのコンドミニアムで妻のジョゼフィンを酔わせ、金庫を盗む計画を立てていた。ホッファが急に帰宅したために計画は失敗し、ジアカローネらはジョゼフィンを介抱していたと言い張ったという[17]。
チャッキー・オブライエンとの関係[編集]
チャッキー・オブライエンにとって9歳のときから付き合いがあるジアカローネは第二の父親的な存在で[19]、彼を「トニーおじさん」と呼んでいた。オブライエンはホッファをジアカローネと引き合わせたり、逆にジアカローネをホッファと引き合わせたりしていた[22]。オブライエンの養子で弁護士のジャック・ゴールドスミスによると、ジアカローネはホッファ失踪の2日後、オブライエンに「トニーおじさんにはこの出来事を止めることができなかった」と話し、2ヶ月後にオブライエンをアントニー・プロヴェンツァーノと引き合わせたとされる[19]。
オブライエンはホッファ失踪の当日にジアカローネの息子ジョーイからワインレッドの1975年式のマーキュリー・マーキー・ブロアムを借りていた[23][24]。ホッファ失踪の9日後、車からホッファのものと思われる毛髪が発見された[25]。8月21日に警察犬が車からホッファの匂いを感知した[23]。2001年にDNA検査の結果、車の後部座席から発見された毛髪がホッファのものであることが判明した[23][24]。
映画[編集]
2019年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『アイリッシュマン』では、ポール・ベン=ヴィクターがアントニー・"トニー・ジャック"・ジアカローネを演じている[26]。この映画でジアカローネの役割はかなり小さくされている[27]。歴史家のスコット・バーンスタインは、デトロイト・ファミリーがホッファを「所有」していたということがこの映画では分からない上、大物マフィアだったジアカローネを下僕のように見せており、「ジアカローネがプロヴェンツァーノの運転手だったとか、彼のブリーフケースを運んでいたとかいう設定」は「無責任なストーリーテリング」であると批判している[28]。
脚注[編集]
注[編集]
出典[編集]
- ↑ 『Organized Criminal Activities: South Florida and U.S. Penitentiary, Atlanta, Ga』 U.S. Government Printing Office、1978年。
- ↑ a b c d Dexter Filkins「Anthony J. Giacalone, 82, Man Tied to Hoffa Mystery」The New York Times, 2001年2月26日
- ↑ a b c d e Allan Lengel「The Secret FBI Files On Detroit's Sopranos -- The Giacalone Brothers And Their Ties To Jimmy Hoffa」Deadline Detroit, 2019年5月19日
- ↑ Jennie Rose Provenzano Giacalone Find a Grave
- ↑ a b チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 上』ハヤカワ文庫NF、2019年、48頁
- ↑ Jack L. Goldsmith 『In Hoffa's Shadow: A Stepfather, a Disappearance in Detroit, and My Search for the Truth』 Farrar, Straus and Giroux、2019年。ISBN 9780374712495。
- ↑ jawp:en:Detroit Partnership
- ↑ a b c Reported Detroit Mob Capo Dies, May Take Hoffa Secret With Him CBS Detroit, 2012年2月21日
- ↑ "The Mafia Organization in the Detroit Area." Exhibit 18. Organized Crime and Illicit Traffic In Narcotics: Hearings Before The Permanent Subcommittee On Investigations Of The Committee On Government Operations, United States Senate: Part 1, 25 September – 9 October 1963
- ↑ "October 29, 1977 (Page 3 of 22)." Enquirer and News (1959-1983), Oct 29, 1977, pp. 3.
- ↑ a b c Hoffa Search: 'Looks Bad Right Now' Time, 1975年8月18日
- ↑ a b FBI: Tip on Jimmy Hoffa prompts search CNN, 2006年5月18日
- ↑ Brown, Nadine; Boynton, Doug; Dorris, Jim; Romanchuk, Dan; Alexander, Bob; Johnson, Pamela; Fenton, David; Sinclair, John et al. (1975). Ann Arbor Sun: Ann Arbor Sun. 3. Rainbow People's Party. .
- ↑ a b c Anthony Giacalone; Mobster Was Linked to Hoffa Los Angeles Times, 2001年2月25日
- ↑ Doug Marrin「Then & Now: The Day the Mafia Made History in Dexter Twp」The Sun Times News, 2022年1月14日
- ↑ 'Tony Jack' Giacalone, 82, Dies The Washington Post, 2001年2月25日
- ↑ a b c チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 下』ハヤカワ文庫NF、2019年、129-130頁
- ↑ 『アイリッシュマン 下』126頁
- ↑ a b c David J. Garrow「An ambitious lawyer, a stepfather with mob ties and the death of Jimmy Hoffa」The Washington Post, 2019年11月14日
- ↑ "October 29, 1977 (Page 3 of 22)." Enquirer and News (1959-1983), Oct 29, 1977, pp. 3.
- ↑ Hoffa, by Arthur A. Sloane, MIT Press, 1991.
- ↑ Hoffa Search: 'Looks Bad Right Now' Time, 1975年8月18日
- ↑ a b c Time line of the Hoffa investigation Detroit Free Press, 2015年7月30日
- ↑ a b New clue found in Jimmy Hoffa disappearance CNN, 2001年9月7日
- ↑ Feds know who killed Jimmy Hoffa but won’t reveal suspect, author claims KXLF.com, 2019年9月25日
- ↑ Christopher Schobert「Buffalo-born 'Irishman' co-star Patrick Gallo on living 'every actor’s dream'」The Buffalo News, 2019年11月19日
- ↑ Nick Allen「Who’s Who in The Irishman: A Character Guide」VUTURE, 2019年11月27日
- ↑ Ken Haddad「Fact vs. Myth: What ‘The Irishman’ got wrong about Hoffa story」ClickOnDetroit, 2019年12月2日
参考文献[編集]
- Reppetto, Thomas 『Bringing Down the Mob: The War Against the American Mafia』 Henry Holt & Company、2007年。ISBN 978-0-8050-8659-1。