ジェノヴェーゼ・ファミリー
ジェノヴェーゼ・ファミリー(英語:Genovese crime family)は、ニューヨークを拠点とするマフィア・ファミリーで、ニューヨークの5大ファミリーの1つ。ジェノベーゼ・ファミリー、ジェノヴェーゼ一家とも表記される。1931年から1957年まではルチアーノ・ファミリーと呼ばれた。
概要[編集]
1890年代にシチリア移民のジュゼッペ・モレロが結成したモレロ・ファミリーが前身。1928年にジョー・マッセリア率いるモレロ・ファミリーとサルヴァトーレ・マランツァーノ率いるマランツァーノ・ファミリーの間でカステランマレーゼ戦争が起き、1931年4月にマッセリアが何者かによって射殺されたことで戦争は終結した。マッセリアと組んでいたラッキー・ルチアーノとマランツァーノが共謀してマッセリアを殺害したとされる。1931年にマランツァーノはニューヨークのマフィアを5つのファミリー(マランツァーノ、プロファチ、マンガーノ、ルチアーノ、ガリアーノ)に再編し、後にジェノヴェーゼ・ファミリーと呼ばれるファミリーの初代ボスにルチアーノを指名した[1]。ルチアーノは1931年9月に自らを「ボスの中のボス」としていたマランツァーノを殺害し、アメリカのマフィアの活動を統括するコミッションを設立した。
1936年にルチアーノが強制売春の罪で逮捕され、アンダーボスのヴィト・ジェノヴェーゼが代理ボスになったが、直後に殺人容疑を免れるためにイタリアに逃亡したため、フランク・コステロが代理ボスになった。1946年にルチアーノがイタリアに強制送還され、コステロがボスになった。アメリカに帰国したジェノヴェーゼはコステロ暗殺を企て、1957年に配下のヴィンセント・ジガンテにコステロを銃撃させた。コステロは一命を取り留めたが、ジェノヴェーゼにボスの座を譲って引退し、ジェノヴェーゼは組織名に自らの名を付けた[1]。1958年にジェノヴェーゼは麻薬取引で逮捕され、1960年に収監されてから1969年に獄死するまでアトランタ連邦刑務所からファミリーを指揮した。同じ刑務所に麻薬取引で収監されていた配下のジョゼフ・ヴァラキは、ジェノヴェーゼに裏切りを疑われて「死の接吻」をされたことで証人保護プログラムに入り、1963年に上院のマクレラン委員会でマフィアの組織構造や歴史、メンバーなど数々の秘密を暴露した(ヴァラキ公聴会)。ヴァラキはオメルタ(沈黙の掟)を破り、アメリカン・マフィアの全容を暴露した最初のマフィア構成員であるとされる。
ジェノヴェーゼからボスの座を継いだフィリップ・ロンバルドは、警察の目を本当のボスから逸らすためにフロントボスという役職を置いた。1981年にロンバルドからボスの座を継いだヴィンセント・ジガンテは、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジをバスローブ姿で独り言を呟きながら徘徊し、精神病を装っていた[1]。80年代に入るとRICO法に基づくFBIの組織犯罪対策が活発化した。1985年にファミリーのボスとみられていたアンソニー・サレルノがラケッティアリング活動の反復を通じてコミッションの業務を遂行していたとして他のファミリーのボスや幹部とともに起訴され、1987年に100年の禁固刑を言い渡された(コミッション裁判)。1988年に長年にわたってサレルノの右腕だったヴィンセント・カファロが上院公聴会でフロントボスという役職を利用したファミリーの策略を暴露した。ジガンテは1997年に逮捕され、2005年に獄死した。
ジェノヴェーゼ・ファミリーはアメリカで最大最強のマフィア・ファミリーであるとされる。結束力が強く、司法取引に応じる内通者は他のファミリーよりも少ないとされる。ブファリーノ、バッファロー、クリーブランド、パトリアルカ、フィラデルフィアなどニューヨーク以外を拠点とする小規模なファミリーと協力関係にある。
歴代指導者[編集]
ボス(正式・代理)[編集]
- 1890s–1909 – ジュゼッペ・"クラッチハンド"・モレロ – 刑務所に収監。
- 1910–1916 – ニコラス・"ニック・モレロ"・テラノヴァ – 1916年9月7日に殺害された。
- 1916–1920 – ヴィンチェンツォ・"ヴィンセント"・テラノヴァ – アンダーボスに就任。
- 1920–1922 – ジュゼッペ・"クラッチハンド"・モレロ – マッセリアのアンダーボスに就任。
- 1922–1931 – ジュゼッペ・"ジョー・ザ・ボス"・マッセリア – 1931年4月15日に殺害された。
- 1931–1946 – チャールズ・"ラッキー"・ルチアーノ – 1936年に収監され、1946年にイタリアへ強制送還された。
- (代理) 1936–1937 – ヴィト・ジェノヴェーゼ – 1937年に殺人容疑を免れるためイタリアに逃亡。
- (代理) 1937–1946 – フランク・"プライムミニスター"・コステロ – ルチアーノの国外追放後、正式なボスに就任。
- 1946–1957 – フランク・"プライムミニスター"・コステロ – 1957年にジェノヴェーゼ、ジガンテによる暗殺未遂事件で引退。
- 1957–1969 – ヴィト・"ドン・ヴィト"・ジェノヴェーゼ – 1959年に収監され、1969年に獄死。
- (代理) 1959–1962 – アンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロ – 1962年に失踪。
- (代理) 1962–1965 – トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ – フロントボスに就任。
- (代理) 1965–1969 – フィリップ・"ベニー・スクイント"・ロンバルド – 正式なボスに就任。
- 1969–1981 – フィリップ・"ベニー・スクイント"・ロンバルド[2] – 1981年に辞任し、1987年に自然死。
- 1981–2005 – ヴィンセント・"チン"・ジガンテ[2] – 1997年に収監され、2005年12月19日に獄死。
- (代理) 1989–1996 – リボリオ・"バーニー"・ベルモ – 刑務所に収監。
- (代理) 1997–1998 – ドミニク・"クワイエット・ドム"・チリッロ – 心臓発作を起こし辞任。
- (代理) 1998–2005 – マシュー・"マティ・ホース"・ラニエロ – 2005年7月に起訴され辞任。
- (代理) 2005–2008 – ダニエル・"ダニー・ザ・レオン"・レオ[3] – 2008–2013年に収監。
- 2010–現在 – リボリオ・"バーニー"・ベルモ
ストリートボス(フロントボス)[編集]
「フロントボス」という役職はボスのフィリップ・ロンバルドが警察の目を自分からそらすために作った。ファミリーはその後20年間にわたって「フロントボス」という策略を維持した。1988年に政府の証人ヴィンセント・カファロがこの詐欺を暴露した後も、ファミリーはこのような権限分担の方法を有益だと考えた。1992年にファミリーはフロントボスの役職を「ストリートボス」という役名で復活させた。ストリートボスはジガンテの遠隔指示のもと、日常的なファミリーの運営の長としての役割を果たした。
- 1965–1972 — トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ — 1972に殺害された[2]。
- 1972–1974 — カーマイン・"リトル・エリ"・ズッカルディ[2] — 1977年に失踪。殺害されたと推定される。
- 1975–1980 — フランク・"ファンジ"・ティエリ[2] — RICO法で起訴され辞任。1981年に死去。
- 1981–1987 — アンソニー・"ファット・トニー"・サレルノ[2] — 1987年に収監され、1992年に獄死。
- 1992–1996 — リボリオ・"バーニー"・ベロモ — 1996年から2008年に収監された。
- 1998–2001 — フランク・セルピコ[4][5] – 2001年に起訴され[6]、2002年に癌のため死去した[7]。
- 2001–2002 — エルネスト・マスカレラ — 2002年に起訴[6]。
- 2002–2006 — アーサー・"アルティエ"・ニグロ — 2006年に起訴。
- 2010–2013 — ピーター・"ペティー・レッド"・ディキアラ — 辞任。
- 2013–2014 — ダニエル・"ダニー"・パガーノ — 2014年8月に起訴。
- 2014–2015 — ピーター・"ペティー・レッド"・ディキアラ — コンシリエーレに就任。
- 2015–現在 — マイケル・"ミッキー"・ラグーザ[8]
アンダーボス(正式・代理)[編集]
- 1903–1909 — イニャツィオ・"ウルフ"・ルポ — 刑務所に収監。
- 1910–1916 — ヴィンチェンツォ・"ヴィンセント"・テラノヴァ — ボスに就任。
- 1916–1920 — チロ・"アーティチョーク・キング"・テラノヴァ — 辞任。
- 1920–1922 — ヴィンチェンツォ・"ヴィンセント"・テラノヴァ — 1922年5月8日に殺害された。
- 1922–1930 — ジュゼッペ・"クラッチハンド"・モレロ — 1930年8月15日に殺害された。
- 1930–1931 — ジョゼフ・カターニア — 1931年2月3日に殺害された[9]。
- 1931 — チャールズ・"ラッキー"・ルチアーノ — 1931年4月にボスに就任。
- 1931–1936 — ヴィト・ジェノヴェーゼ — 1936年に代理ボス代行に昇格し、1937年にイタリアに逃亡。
- (代理) 1936–1937 – アンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロ – 降格。
- 1937–1951 — グァリーノ・"ウィリー"・モレッティ — 1951年に殺害された。
- 1951–1957 — ヴィト・ジェノヴェーゼ[10] — 二度目のアンダーボス。
- 1957–1970 — ジェラルド・"ジェリー"・カテナ — ニュージャージー・ファクションのボスでもあった。1970年から1975年に収監[11]。
- 1970–1972 — トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ — フロントボスを兼任。1972年に殺害された[2]。
- 1972–1975 — フランク・"ファンジ"・ティエリ — フロントボスを兼任[2]。
- 1975–1981 — アンソニー・"ファット・トニー"・サレルノ[2] — 1980年にフロントボスに昇格。
- 1981–1987 — サヴェリオ・"サミー"・サントラ[2] — 自然死。
- 1987–2017 — ヴェネロ・"ベニー・エッグス"・マンガーノ — 1993年に収監され、2006年12月に釈放された。2017年8月18日に自然死。
- (代理) 1990–1997 — マイケル・"ミッキー・ディミノ"・ジェネローゾ — 1997年から1998年に収監[12]。
- (代理) 1997–2003 — ジョゼフ・ジト
- (代理) 2003–2005 — ジョン・"ジョニー・ソーセージ"・バルバート — 2005年から2008年に収監。
- 2017–現在 — エルネスト・"アーニー"・マスカレラ
コンシリエーレ(正式・代理)[編集]
- 1931–1937 — フランク・コステロ — 1937年に代理ボスに昇格。
- 1937–1957 — "サンディーノ" — ヴァラキが一度だけ言及した謎の人物。
- 1957–1972 — マイケル・"マイク"・ミランダ — 1972年に引退。
- 1972–1975 — アンソニー・"ファット・トニー"・サレルノ — 1975年にアンダーボスに昇格[2]。
- 1975–1978 — アントニオ・"バッカルー"・フェロ[2]
- 1978–1980 — ドミニク・"ファット・ドム"・アロンギ[2][13]
- 1980–1981 — ヴィンセント・"チン"・ジガンテ — ボスに昇格。
- 1981–1990 — ルイス・"ボビー"・マンナ[2] — 1990年に収監。
- (代理) 1989–1990 — ジェームズ・"リトル・ガイ"・アイダ — 正式なコンシリエーレに昇格。
- 1990–1997 — ジェームズ・"リトル・ガイ"・アイダ — 1997年に収監。
- 1997–2009 — ローレンス・"リトル・ラリー"・デンティコ[12] — 2005年から2009年に収監。引退。
- (代理) 2005–2009 — ドミニク・"クワイエット・ドム"・チリッロ – 正式なコンシリエーレに昇格。
- 2009–2015 – ドミニク・"クワイエット・ドム"・チリッロ — 退任が報じられた。
- 2015–2018 – ピーター・"ペティー・レッド"・ディキアラ – 2018年3月2日に死去。
メッセンジャー[編集]
メッセンジャー(Messaggero / Messenger)は、ファミリー間の連絡役として機能する。メッセンジャーはマフィアの支配層の会食や会議の必要性を減らすことができ、結果としてボスが人目に触れることを制限する。
- 1957–1969 — マイケル・"マイク"・ジェノヴェーゼ — ヴィト・ジェノヴェーゼの兄弟[14][15]。
- 1997–2002 — アンドリュー・V. ジガンテ — ヴィンセント・ジガンテの息子。2002年に起訴。
- 2002–2005 — マリオ・ジガンテ[16][17]
アドミニストレイティブ・カポ[編集]
アドミニストレイティブ・カポ(Administrative capos) – 正式なボスが死んだり、刑務所に入ったり、無能力になった場合、代理ボス、ストリートボス、アンダーボス、コンシリエーレによるファミリーの運営を助け、警察の目をそらすためにファミリーはカポで構成される統括委員会を組織することがある。
- 1998 — (2人の委員) — ローレンス・"リトル・ラリー"・デンティコ、フランク・"パンチー"・リリアーノ[18]
- 1998–2001 — (4人の委員) — ドミニク・"クワイエット・ドム"・チリッロ、ローレンス・"リトル・ラリー"・デンティコ、ジョン・"ジョニー・ソーセージ"・バルバート、アラン・"ボルディー"・ロンゴ — 2001年にロンゴが起訴。
- 2001–2005 — (4人の委員) — ドミニク・チリッロ、ローレンス・デンティコ、ジョン・バルバート、アンソニー・"ティコ"・アンティコ — 2005年4月に4人全員が起訴[19]。
- 2005–2010 — (3人の委員) — ティノ・"ザ・グリーク"・フィウマーラ(2010年に死去)[20]、他2人の名前は不明。
出典[編集]
- ↑ a b c History of La Cosa Nostra FBI
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n United States, Congress. Senate. Committee on Governmental Affairs. Permanent Subcommittee on Investigations 『Organized Crime 25 Years After Valachi : Hearings Before the Permanent Subcommittee on Investigations of the Committee on Governmental Affairs, United States Senate, One Hundredth Congress, Second Session, April 11, 15, 21, 22, 29, 1988』 U.S. Government Printing Office、January 15, 2016 2016、868–870。
- ↑ "Charges against mob boss show Mafia alive and well in New York", June 1, 2007
- ↑ Claffey, Mike (2002年1月28日). “Snitch Stole 3 Years of Mob Secrets”. New York Daily News 2012年4月17日閲覧。
- ↑ Smith, Greg B. (2001年8月12日). “Genovese Family Keeps Its Chin Up Gigante becomes top don as Gotti fades”. New York Daily News 2012年4月17日閲覧。
- ↑ a b “Rick Porrello's American Mafia.com”. Americanmafia.com. 2012年4月24日確認。
- ↑ Jerry Capeci. Jerry Capeci's Gang Land. (view)
- ↑ “Exclusive: Genovese Family Annoints [sic] Low-Profile Veteran As Street Boss”. 2022年8月21日確認。
- ↑ “The Genealogy of the New York Mafia”. New York: p. 33. (1972年7月17日) 2012年4月24日閲覧。
- ↑ Bonanno, Joseph. A Man of Honor: The Autobiography of Joseph Bonanno pg.170-185
- ↑ “Catena Now Expected to Meet Gambino”. The New York Times. (1975年8月21日) 2021年1月24日閲覧。
- ↑ a b The Changing Face of ORGANIZED CRIME IN NEW JERSEY - A Status Report(May 2004)State of New Jersey Commission of Investigation
- ↑ Ferrara, Eric 『Manhattan Mafia Guide Hits, Homes & Headquarters』 Arcadia Publishing、2010年。ISBN 9781614233510。
- ↑ Block, Alan A. "East Side, West Side: organized crime in New York, 1930–1950" (1999) [1]
- ↑ Raab, Selwyn "Five Families: The Rise, Decline and Resurgence of Americas Most Powerful Mafia Empires". St. Martin Press. 2005 (pg 61) [2]
- ↑ "'Buster' Ardito Hunts for Bugs". by Jerry Capeci (June 22, 2006) The New York Sun.
- ↑ "The Mobster and the Failed Polygraph". by Jerry Capeci (July 13, 2006) The New York Sun.
- ↑ Raab, Selwyn (1998年7月26日). “Crime family is promoting old hands, authorities say”. The New York Times. News Paper 2022年2月13日閲覧。
- ↑ Nardoza, Robert (2005年4月5日). “Genovese Family Acting Boss Dominick "Quiet Dom" Cirillo and Three Captains Indicted for Racketeering”. The United States Attorney's Office, Eastern District of New York. 2012年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月8日確認。
- ↑ Escaping the Law, One Last Time...: An Elusive Mobster's End, Double-Checked by William K. Rashbaum February 1, 2011, The New York Times.