ラッセル・ブファリーノ

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ラッセル・アルフレッド・ブファリーノ英語:Russell Alfred Bufalino[1]、出生名:ロサリオ・アルベルト・ブファリーノ(Rosario Alberto Bufalino)[2]1903年10月29日 - 1994年2月25日)は、アメリカ合衆国マフィアペンシルベニア州北東部を拠点としたブファリーノ・ファミリーのボス。愛称はラス(Russ)、マクギー(McGee)[3]ジ・オールド・マン(The Old Man)[4]寡黙なるドン(The Quiet Don)とも呼ばれた[5][6]

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1903年10月29日、シチリア島モンテドーロ生まれ。父のアンジェロはブファリーノが生まれる前の1903年7月にアメリカに渡り、ペンシルベニア州ピッツトンで炭鉱労働者として働いていた。1903年12月、生まれたばかりのブファリーノは家族とともにアメリカに渡り、アンジェロと合流した。しかし、数ヵ月後にアンジェロが炭鉱事故で亡くなり、母クリスティーナと2人の兄弟とともにシチリアに戻った。1906年1月に再び渡米したが、1910年に母が亡くなり、シチリアに戻った。1914年2月に3度目の渡米をし、ピッツトンに落ち着いた[7][注 1]。このような生い立ちのため、50年代初頭から米国移民帰化局(INS)はブファリーノをイタリアに強制送還しようとし、ブファリーノはピッツトン生まれだと主張した[9]。70年代初頭にブファリーノは15年におよぶ訴訟に敗れ、強制送還されることになったが、結局はイタリア政府が入国を拒否したため、アメリカに滞在できることになった[10]

ボスになるまで[編集]

1917年か1918年にピッツトンからニューヨーク州バッファローに移った[7]。10代の頃にギャンブルや窃盗、借金の取り立てから犯罪活動を始め、1919年に禁酒法が施行されると酒の密輸に携わった。1920年代初頭からペンシルベニア北東部ファミリー(後のブファリーノ・ファミリー)のジョゼフ・バーバラと行動を共にした[11]。1928年にアメリカにマフィアが誕生した当初からのメンバーであるシャンドラ一族出身のキャロライン・"キャリー"・シャンドラと結婚した[8][6]。ピッツトンを経て[12]、1940年にペンシルベニア州キングストンに移った[13]。1940年にバーバラがペンシルベニア北東部ファミリーのボスになり、ブファリーノをアンダーボスに任命した[4][14]。ただし1933年から1949年までジョヴァンニ・シャンドラがファミリーのボスを務め、1949年のシャンドラの死後、ブファリーノが代理ボスになったようだとするサイトもある[15]

ブファリーノは1957年11月14日のアパラチン会議を手配したことで知られる[16]。1957年にヴィト・ジェノヴェーゼが全米のマフィアを集めた会議の開催を企図した。当初はシカゴを開催地に予定していたが、サム・ジアンカーナシカゴのボス)の反対にもかかわらず、ステファノ・マガディーノバッファローのボス)はニューヨーク州アパラチンのバーバラ邸で会議を開くようジェノヴェーゼを説得した[17]。こうしてバーバラとブファリーノが会議の手配をすることになり、1957年11月14日アパラチンのバーバラ邸に約100人のマフィアが集まった。会議の途中で出席者たちは警察のバリケードの存在に気付き、バリケードの外へ脱出を試みたが、ブファリーノを含む69人が逮捕された[4]。バーバラは会議の失敗で引退を余儀なくされ[4]、1958年にブファリーノを代理ボスに任命した[11]。1959年にブファリーノを含む20人が偽証と司法妨害の共謀罪で有罪判決を受け、全員に最高1万ドルの罰金と3年から5年の懲役刑が言い渡されたが、1960年に控訴審で有罪判決が破棄された[18]

ブファリーノ・ファミリー[編集]

1959年6月のジョゼフ・バーバラの死後、ブファリーノはペンシルベニア北東部ファミリーのボスになった[11][16]。ペンシルベニア北東部ファミリーはボスの名前からブファリーノ・ファミリーと呼ばれるようになった。ペンシルベニア犯罪委員会によると「ファミリーは様々な活動に関与したが、ファミリーの力はこの地域の衣料産業と石炭産業の労働組合搾取で確立された」という[16]。上院の組織犯罪に関する委員会の1963年の調査報告書には「アメリカのマフィアで最も冷酷で強力なリーダーの1人。麻薬取引、労働組合搾取、盗品の宝石や毛皮の売買に従事」と記されている[19]。ペンシルベニア犯罪委員会の1980年の報告書『10年間の組織犯罪』には「これを執筆している時点で、ペンシルベニア州北東部、ニューヨーク州、ニューヨーク市で活動しているラッセル・ブファリーノ・ファミリーが、アメリカで最も強力なコーザ・ノストラ・ファミリーであるようだ。……ブファリーノとそのファミリーが握っている力を過小評価するべきではない」[16]、「マッガディーノ・ファミリーも……ジェノヴェーゼ・ファミリーももはや存在しない――目下これらのファミリーのメンバーはラッセル・ブファリーノの支配下にある」と記されている[20]

親族[編集]

  • 妻:キャロライン・"キャリー"・シャンドラ(1911~2006)[21]:1928年に結婚した。夫婦の間に子供はいなかった[22]
  • 甥:ウィリアム・デリア(1946~):1994年にブファリーノの死去に伴い、ブファリーノ・ファミリーのアンダーボスからボスに昇格した。
  • 従兄弟:ビル・ブファリーノ(1918~1990):弁護士。フランク・シーランによると、実際は血縁関係に無かったが、従兄弟だと称することを許されていた。ただし遠縁だった可能性はある。
  • 義理の従兄弟:ジョヴァンニ・シャンドラ(1899~1949):ペンシルベニア北東部ファミリーのボスを務めた。
  • 義理の従兄弟:エドワード・シャンドラ(1912~2003):ブファリーノ・ファミリーのコンシリエーレや代理ボスを務めた。
  • 叔父:チャールズ・ブファリーノ - サント・ヴォルペスティーヴン・ラトーレとともに後のブファリーノ・ファミリーである「モンテドーロの男」(the men from Montedoro)を結成した。

親交があった人物[編集]

大衆文化[編集]

2014年にジャーナリスト・作家のマット・バークベックが『The Quiet Don: The True Story of Mafia Kingpin Russell Bufalino』をBerkley Booksから刊行した[5]

2019年に公開されたマーティン・スコセッシの映画『アイリッシュマン』では、ジョー・ペシがラッセル・ブファリーノを演じ、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。

脚注[編集]

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  1. 姉のジョゼフィンは1960年にブファリーノのイタリアへの強制送還をめぐる訴訟で彼の出生について次のように証言している[8]。1902年か1903年に両親、ジョゼフィン、妹のクリスティーナ、弟のカロジェロが渡米し、ピッツトンでブファリーノが出生した。1904年に父が亡くなった後、母と子供4人はイタリアに戻ったが、1906年1月にクリスティーナをイタリアに残して再び渡米した。1910年に母が亡くなった後、ジョゼフィンとブファリーノはイタリアに戻ったが、1914年にクリスティーナとともに渡米した。

出典[編集]

  1. United States. Congress. Senate. Committee on Governmental Affairs. Permanent Subcommittee on Investigations 『Organized Crime: 25 Years After Valachi』 U.S. Government Printing Office、1988年、762頁。
  2. Immagine 110” (イタリア語). Antenati. 2022年8月22日確認。
  3. チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 上』ハヤカワ文庫NF、2019年、40頁
  4. a b c d ‘The Irishman’: 12 of the Film’s Stars and Their Real-Life Inspirations NME、2019年11月8日
  5. a b The Quiet Don Penguin Books
  6. a b c 『アイリッシュマン 上』123頁
  7. a b Mack, Dave (1977年10月21日). “Bufalino: A good neighbor with a secret life”. Press & Sun-Bulletin: p. 3. https://www.newspapers.com/clip/40093137/bufalino/ 2022年8月22日閲覧。 
  8. a b Russell Bufalino, Appellant, v. John W. Holland, District Director of Immigration and Naturalization, 277 F.2d 270 (3d Cir. 1960)”. Law Justia. 2022年8月22日確認。 “His applications for a marriage license dated August 9, 1928”
  9. Profile of Organized Crime, Mid-Atlantic Region: Hearings Before the Permanent Subcommittee on Investigations of the Committee on Governmental Affairs, United States Senate, Ninety-eighth Congress, First Session, February 15, 23, and 24, 1983』 U.S. Government Printing Office、1983年
  10. 18 Charged After F.B.I. Raids on Crime Figures Upstate and in Pennsylvania”. nytimes.com (1973年4月22日). 2022年8月22日確認。
  11. a b c The Irishman: Real Life Gangsters From Philly and New York Den of Gee、2019年11月29日
  12. Organized Crime in Pennsylvania: A Decade of Change, 1990 ReportPDF”. Pennsylvania Crime Commission (1991年4月). 2022年8月23日確認。
  13. Frank "The Irishman" Sheeran, portrayed by Robert De Niro - 'The Irishman': 12 of the Film's Stars and Their Real-Life Inspirations The Hollywood Reporter、2019年11月29日
  14. PENNSYLVANIA CRIME COMMISSION REPORT ON ORGANIZED CRIME, Pennsylvania Crime Commission, 1970.
  15. THE AMERICAN MAFIA - Crime Bosses of Pittson”. 2013年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月22日確認。
  16. a b c d Pennsylvania Crime Commission 1989 ReportPDF”. Pennsylvania Crime Commission (1989年4月). 2022年8月22日確認。
  17. McHugh, Ray (1963年8月26日). “Federal Attack, Internal Fights Trouble Crime Clan”. Lodi News-Sentinel. https://news.google.com/newspapers?id=cjozAAAAIBAJ&sjid=ozIHAAAAIBAJ&pg=6806,4852987&dq=magaddino+blame+apalachin+meeting&hl=en 2022年8月22日閲覧。 
  18. United States of America, Appellee, v. Russell A. Bufalino, Ignatius Cannone, Paul C. Castellano,joseph F. Civello, Frank A. Desimone, Natale Evola, Louis A.larasso, Carmine Lombardozzi, Joseph Magliocco, Frank T.majuri, Michele Miranda, John C. Montana, John Ormento,james Osticco, Joseph Profaci, Anthony P. Riela, John T.scalish, Angelo J. Sciandra, Simone Scozzari and Pasqualeturrigiano, Defendants-appellants, 285 F.2d 408 (2d Cir. 1960)”. Justia Law (1960年6月9日). 2022年8月22日確認。
  19. Organized Crime and Illicit Traffic in Narcotics Pt. 4”. U.S. Government Printing Office (1963年11月30日). 2022年8月23日確認。
  20. a b 『アイリッシュマン 上』121頁
  21. Carolyn Bufalino”. Legacy.com (2006年12月31日). 2022年8月22日確認。
  22. 『アイリッシュマン 上』52頁
  23. 『アイリッシュマン 上』122頁
  24. チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 下』ハヤカワ文庫NF、2019年、51頁