ティムール朝

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ティムール朝(ティムールちょう)は、中央アジアから西アジアにかけての広大な領土を支配したモンゴル帝国の後継者を称する王朝である。ティムール帝国と言われることが多いが、チムール朝チムール帝国などと呼ばれる場合もある。1370年から1507年まで続いた。

概要[編集]

ティムールの時代[編集]

中央アジアはチンギス・ハーンの大西征により、その次男のチャガタイによるチャガタイ・ハン国の支配下に入った。しかし、チャガタイ・ハン国はやがて東西に分裂し、衰えた国の中ではそれぞれの豪族が力を持って割拠するようになった。この中で西チャガタイ・ハン国から頭角を現したのがティムールで、彼は自らをチンギス・ハーンの子孫と称し、1370年にサマルカンドを占領して自らの王朝を創設。さらに、東西に分裂していたチャガタイ・ハン国を支配下に置いた。1380年にはホラーサーンを支配下に置いてイラン東部を平定し、1388年からは5年かけてイラン全域を征服し、アルメニアグルジアアナトリア東部まで支配下に置いて、この地を当時支配していたムザッファル朝を滅ぼした。

1398年にはインド北部に侵攻し、デリー・スルタン朝の首都だったデリーを制圧する。1402年には西アジア方面に進出し、この地で勢力を拡大していたバヤジト1世アンカラの戦い捕虜にし、さらにマムルーク朝も押す勢いだった。

1405年、ティムールはかつての大帝国だったモンゴル帝国の復活を夢見て、当時中国を支配していたへの遠征を開始するが、その遠征の最中に病に倒れてオトラルで病死した。

分裂・滅亡へ[編集]

ティムールの死後、後継者となったのは孫のハリール・スルタンであるが、これはティムールの遺命を背いての即位だったことからたちまち一族で内紛が起こった。この内紛の中で頭角を現したのがティムールの4男であるシャー・ルフで、彼はハリールを倒して君主になると、サマルカンドからヘラート遷都して一族の内紛を鎮めた。さらにティムールの時代に敵対した明との和平に努め、周辺諸国に勢力を拡大し、ティムールの時代ほどでないにしろ、ティムール朝は一時的に繫栄と安定を取り戻した。

だが、1447年にシャー・ルフが死去すると、その跡を継いだ長男のウルグ・ベクがサマルカンドに首都を戻そうとして自らの長男のアブドゥッラティーフと対立。さらに一族でもまた内紛が始まった。ウルグ・ベクは自らの長男との戦いに敗れて処刑され、父を殺して即位したアブドゥッラティーフも家臣に暗殺されるなど、混乱が続いた。

アブドゥッラティーフの死後は従弟のアブドゥッラーが跡を継ぐが、これもすぐに一族のアブー・サイードに処刑され、新たに君主となったアブー・サイードは一族の反乱を鎮圧し、内政の整備を進めて一時的に王朝を再建する。しかし、アブー・サイードは1469年白羊朝との戦いに敗れて捕らえられて処刑された。

相次ぐ君主の不慮の死、内紛、外敵の侵入により、最早ティムール朝は統一を保つことができなくなり、アブー・サイードの死後には政権はヘラートとサマルカンドに分裂してしまった。これらの政権は最早それぞれの都市周辺を支配するのがやっととなり、1500年にはサマルカンド政権はシャイバーン朝によって滅ぼされた。ヘラート政権はフサイン・バイカラという名君により一時的に勃興したものの、1506年にフサインが死去すると後継者となった息子たちにはいずれも実力が無く、サマルカンド政権同様に1507年にシャイバーン朝に滅ぼされ、こうしてティムール朝は完全に滅亡した。

サマルカンド政権の君主に一時的になっていた一族のバーブルはインドに逃れ、後にムガール帝国を建設した。

国制[編集]

この王朝は中東全域をほぼ支配した大帝国であるにも関わらず、国制については不明な点が多い。これは、初代のティムールがそもそも自らの卓越した軍事能力とカリスマで築き上げた大帝国に過ぎず、ティムール自身もほとんど国内の整備は行わなかったからである。そのため、君主個人の才覚と力量に左右される帝国となり、ティムールから3代目のシャー・ルフを除いて、政権がサマルカンドとヘラートに分裂するまでの君主は全員、不慮の死を遂げているし、歴代の後継の際には常に内紛が起きている。

歴代君主[編集]

  1. ティムール(1370年 - 1405年)
  2. ハリール・スルタン(1405年 - 1409年)
  3. シャー・ルフ(1409年 -1447年)
  4. ウルグ・ベク(1447年 - 1449年)
  5. アブドゥッラティーフ(1449年 - 1450年)
  6. アブドゥッラー(1450年 - 1451年)
  7. アブー・サイード(1451年 - 1469年)

サマルカンド政権

  1. スルタン・アフマド(1469年 - 1494年、アブー・サイードの長男)
  2. スルタン・マフムード(1494年 - 1495年、アブー・サイードの次男)
  3. バイスングル(1495年 -1496年、スルタン・マフムードの長男)
  4. スルタン・アリー(1496年、スルタン・マフムードの次男)
  5. バイスングル(2回目、1497年)
  6. バーブル(1497年 - 1498年、後のムガル帝国初代皇帝)
  7. スルタン・アリー(2回目、1498年 - 1500年)

ヘラート政権

  1. フサイン・バイカラ(1470年 - 1506年)
  2. バディー・ウッザマーンムザッファル・フサイン(共同統治、1506年 - 1507年)