グレートローマン

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グレートローマン
欧字表記Great Roman
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1981年3月22日
ブレイヴェストローマン
エイコーリーブス
母の父ネヴァービート
生国日本北海道浦河町
生産本巣牧場
馬主石坂達也
→上川廣
調教師伊藤雄二栗東
→河内義昭(新潟
→野島豊(愛知
→本名信行(愛知)
競走成績
生涯成績37戦25勝
獲得賞金9023万7000円

グレートローマン日本競走馬である。旧・公営新潟県競馬のスターホースの中の一頭で、1980年代「新潟の星」と呼ばれた[1]。後に愛知に移り、引退後は種牡馬となった。

戦績[編集]

2000年以前の馬齢は旧表記を用いる。

1983年5月21日三条競馬場の3歳ロ組(800m、8頭)で五十嵐剛紹を鞍上に新馬勝ちを収めると、その後4戦足踏みがあったが9月28日に挙げた2勝目から破竹の10連勝で新潟ジュニアカップ・新潟皐月賞・新潟ダービーと重賞でも3つの勝鞍を挙げた。古馬相手のA3特別戦こそ敗れたが続くB1戦で勝利すると、東北4歳チャンピオンの名声を求めて東北優駿(東北3県持ち回りで1984年上山競馬場開催)に駒を進める。しかし、岩手カウンテスアップの前に1馬身半差の2着に敗れた[2]。この後地元新潟でA3特別戦を勝利したのを最後に、新潟より賞金の高い東海愛知に移籍することとなった。新潟所属時の戦績は19戦13勝。

1984年末に愛知にやってきたグレートローマンだったが、ここでも快進撃が続く。当時中京芝で施行されていた東海桜花賞でブービー、ゴールド争覇では殿負けを喫したが、名古屋笠松でのレースでは2年強の在籍期間中にただの一度も連対を外さない安定感を誇った。1985年秋には大井に移籍して川崎記念を勝利していたカウンテスアップが半年間愛知に移籍し、再び名勝負を繰り広げた。東海菊花賞ではカウンテスアップが1着、グレートローマンが2着だった。

カウンテスアップが大井に出戻った1986年は昨年カウンテスアップの2着に敗れた東海菊花賞など5勝を挙げ、年末の名古屋大賞典の優勝を花道に引退した。東海では18戦12勝。引退後はブレイヴェストローマンの後継種牡馬として、中央で活躍したスーパーソブリン百万石賞北國王冠等の勝ち馬ボナンザーローマンらを輩出している。

競走成績[編集]

血統表[編集]

グレートローマン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ネヴァーベンド系

*ブレイヴェストローマン
Bravest Roman
1972 鹿毛
父の父
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
父の母
Roman Song
1955 鹿毛
Roman Sir Gallahad
Buckup
Quiz Song Sun Again
Clever Song

エイコーリーブス
1970 栃栗毛
*ネヴアービート
Never Beat
1960 栃栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect Big Game
Netherton Maid
母の母
*ハイマインデツド
1963 栗毛
Right Royal Owen Tudor
Bastia
Equation Fair Trial
Algebra
母系(F-No.) 1号族(FN:1-g) [§ 2]
5代内の近親交配 Nasrullah 3×4=18.75%、Nearco 4×5・5=12.50%、PharosFairway 5×5=6.25% [§ 3]
出典

出典・脚注[編集]

  1. グレートローマン - 新潟県競馬名馬館
  2. 『優駿』1985年1月号、日本中央競馬会、158頁
  3. グレートローマン - 優駿達の蹄跡
  4. a b 血統情報:5代血統表|グレートローマン”. JBIS-Search. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月26日確認。
  5. グレートローマンの血統表”. netkeiba.com. 2019年10月26日確認。

外部リンク[編集]