ギニアビサウ
ギニアビサウ共和国(ギニアビサウきょうわこく、Guinea - Bissau)とは、西アフリカの西端近くに位置し、大陸部と沖合のビジャゴス諸島に存在する国家である。国土面積は3.6万平方キロ(日本の九州と同規模)。人口は2011年の時点で159万7000人。首都はビサウ。人口密度は44.2人/㎢。国名の由来は西アフリカ沿岸部の総称ギニアと首都であるビサウの複合語で、ギニアはベルベル語の「皮膚の黒い人」を意味し、ビサウはエンリケ航海王子が1415年に併合したビゼウ公領の名に基づくとされている。
概要[編集]
1446年にポルトガル人のヌーノ・トリスタンが来航し、以後は奴隷貿易の中継地として利用された。1879年に全域がポルトガルの植民地となる。
1956年にギニア・カーボベルデ独立アフリカ人党(PAIGC)が結成されて武装闘争が始まる。1973年までにギニア・カーボベルデ独立アフリカ人党は国土の75パーセントを解放したことにより、9月24日に独立を宣言した。1974年になるとポルトガルも正式に独立を承認し、9月17日には国連に加盟している。
独立以後、非同盟中立で社会主義政策を推進するギニア・カーボベルデ独立アフリカ人党による一党独裁の独裁政治が行なわれる。そのため、ソ連や中華人民共和国などと緊密な関係を保持した。ところが、1991年にソ連が崩壊した余波により、この国でも一党独裁を廃止する憲法改正が決議され、1994年に複数政党制による初めての議会選挙と大統領選挙が実施される。ところが、1998年に軍の反乱が発生し、これを契機に内戦が勃発する。しかしこの内戦は短期の内に和平協定が合意され、新憲法が制定されて1999年に大統領選挙が実施される。だが、その後も政局の混乱が続いた。
この国の経済規模、いわゆる国内総生産は220億円前後(1990年代末の時点)である。これは日本で言うなら大企業の年収にすら及ばない程度である。ところがこの程度の経済規模にも関わらず、閣僚並びにそれに準じる者が28名、国会議員が102名と政治家が多すぎて国家財政を圧迫させるという事態になった。このため、2000年に当時の政権は、下閣僚らに対する恩給を廃止して、それにより確保できた余剰金を社会開発に回すと宣言した。これは、退役者に対して甘い処置の多いアフリカ諸国では画期的な判断ではあったが、これに不満を抱いた軍のクーデターが2003年に発生し、当時の大統領は追放されてこの恩給全廃計画は廃止されることになった。
経済[編集]
米、カシューナッツ、トウモロコシなどが主要な生産物であり、穀物の自給力はあるが、1977年以来は旱魃、並びに社会主義政策の失敗で年間8100万ドルの食糧輸入国に転落している。カシューナッツは全て輸出に回されており、国内での販売は禁止されている。1997年に西アフリカ経済通貨同盟に加盟し、ギニアビサウ・ペソからCFAフランに通貨を切り替えている。
気候[編集]
高温多湿な熱帯雨林気候で、12月から5月の乾季には乾燥熱風のハルマッタンと呼ばれる砂嵐が吹く。
首都・ビサウの1年の平均気温は26.9度。最高気温は10月の27.7度。最低気温は1月の25.5度で、年間降水量は1469ミリである。
国土の半分は海抜0メートルに近い低湿地で、最高地点は北東部丘陵地の標高300メートルである。
言語[編集]
民族[編集]
- スーダン系バランテ族が30パーセント。
- スーダン系フラニ族が20パーセント。
- スーダン系マンジャク族が14パーセント。
宗教[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府