オマーン

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
オマーン国から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちがオマーンの項目をおカタく解説しています。
国旗

オマーン国(オマーンこく、Sultanate of Oman(OM))とは、アラビア半島の南東端に位置する国家である。政体君主制スルターン制)。国土面積は31万平方キロ(日本の82パーセント)。人口2011年の時点で302万8000人。人口密度は9.8人/㎢。首都マスカット。国名の由来は、オマーン人に由来すると言われている。オマーンの語義についてはアラビア語の「永住地」とする説が有力視されているが、別説もあり定説は見ていない。

概要[編集]

歴史[編集]

この地域は古くから海洋貿易の中継地として繁栄した。イスラム王朝に支配された後、1507年ポルトガルが沿岸部を占領する。1749年サイード家によって国家の統一がなされた。その後、サイード家の勢力拡大により一時は東アフリカ沿岸にまで勢力を拡大して全盛期を迎える。しかし、1891年イギリスと修好通商条約を締結して、その保護領となった。ただし、国際法上はなおも主権国家扱いだったとされている。その後、1951年12月20日にイギリスから独立を果たした。ところが、オマーンはイギリスの保護領となった頃から外交政策を鎖国に転換して著しく閉鎖的になった。それは独立後も変わらなかったが、1970年に宮廷クーデターが起こったのを契機として開放政策に転換し、当時の国名であるマスカット・オマーンからオマーン国へと国名を改称した。そして1971年10月7日国連に加盟している。

開放政策に転換してからは、1981年ペルシア湾岸諸国との安全保障を調整する湾岸協力会議GCC)の設立に参加する。また次第に民主化も進められ、1997年にはその一環として、完全では無いものの二院制議会を形成し、女性に対して初めて参政権を認めている。

この国のスハール港は『船乗りシンドバッドの冒険』で船出した場所であり、1991年にはスペースシャトルの宇宙撮影で判明した南西部のウバル遺跡は香料樹脂である乳香の世界的な採取地として知られるなど、アラビアンナイトシバの女王伝説ゆかりの地として知られている。

地理について[編集]

アラビア半島の南東端に位置する国家で、国土の8割がアルハリ砂漠の一部である。気候は年間を通じて高温で、5月から10月にかけては37度の酷暑となる。

首都・マスカットの年平均気温は28.3度で、最高気温が6月の35度、最低気温は1月の21.2度であり、年間降水量は83ミリである。

経済について(日本との関係)[編集]

オマーンはイギリスの保護領となった頃からの閉鎖政策で経済は停滞し、世界最貧国の汚名に甘んじることになる。ところが1964年に石油が発掘されると一転して長者国家としてオイルマネーが集まり、繁栄をほしいままにした。石油輸出国機構OPEC)に未加盟のため、生産量や価格規制の障壁が無いことが逆に強みとなっているが、近い将来の枯渇も懸念されている。なお、石油輸出国では中国が1位、日本が2位であり、他にも日本で消費されるインゲン豆の5割以上がオマーン産である。

この国は中東でも1、2を争う親日国であり、その縁は1924年地理学者志賀重昂がマスカットを訪問して、当時の国王であるタイムール・ビン・ファイサルと謁見して、日本の風俗などを紹介したことである。これを機に、1932年に王位から退いたタイムール・ビン・ファイサルは1936年には来日し、兵庫県神戸市に5年間滞在して日本人女性の大山清子と結婚し、王女・ブサイナ・ビント・タイムールをもうけたことで知られている。

宗教[編集]

住民[編集]

  • アラブ系オマーン人が48パーセント。
  • インド系オマーン人が32パーセント。

言語[編集]

通貨単位[編集]

国内総生産[編集]

  • 1人当たり国内総生産は1万8657米ドル(2010年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光
その他