近江長浜城
近江長浜城(おうみながはまじょう)とは、現在の滋賀県長浜市公園町10-10にかつて存在した日本の城である。織田信長に仕えた羽柴秀吉が信長時代の時にその居城としたことで著名である。現在は豊公園(ほうこうえん)である。
概要[編集]
長浜駅の西、琵琶湖畔にある。この城は南北朝時代に「バサラ大名」で著名な佐々木道誉(京極高氏)が延元元年/建武3年(1336年)に当時は今浜と呼ばれた当地に出城を築いたのが、その始まりと言われている。
戦国時代になると、北近江の戦国大名として越前の朝倉義景や甲斐の武田信玄と手を組んで織田信長と敵対した浅井長政が天正元年(1573年)に滅ぼされ、その合戦で功績を立てた羽柴秀吉は信長から恩賞として旧浅井領を所領として与えられた際、秀吉は今浜古城を修築し、主君の信長の「長」を取って名を長浜と改名した。これが長浜城の起源といわれる。
天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が横死すると、秀吉は清須会議において長浜城を柴田勝家に譲り、勝家は長浜城を甥で養子の勝豊に任せた。しかし勝豊は賤ヶ岳の戦いの前哨戦において大谷吉継らの調略を受けて秀吉に寝返り、長浜城は再度秀吉の支配下に入る。勝豊の死後は山内一豊が城主となった。
江戸時代になると内藤信成、信正父子が城主となるが、元和元年(1615年)に摂津高槻藩に移封されると同時に長浜城は廃城とされた。
廃城と同時期、同じ近江の彦根藩では井伊直孝が彦根城の築城に励んでいたが、長浜城の建築物と石垣の大半を彦根へ運び出して転用した。彦根城に現存する天秤櫓は長浜城から移築転用されたものである。
現在は城跡が豊公園として整備され、わずかに石垣が残るのみである。石垣に囲まれた高台には湖に向かって秀吉像が立てられている。公園の南に隣接する長浜港からは、竹生島方面への定期観光船も発着し、竹生島経由で浜大津に出ることもできる。
アクセス[編集]
- 長浜駅から徒歩で5分。