赤坂自民亭事件

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赤坂自民亭事件(あかさかじみんていじけん)とは、平成30年(2018年7月5日夜に首相安倍晋三自民党議員ら約50名が東京・赤坂の議員宿舎で開いた宴会のことである。豪雨警戒の夜であるにも関わらず宴会を開催し、この初動対応の問題が平成30年7月豪雨における被害の拡大につながったのではないかとする説もある。

経歴[編集]

  • 7月4日
  • 7月5日
    • 午後2時 - 気象庁の担当者が緊急記者会見し、「7月8日まで警報級の警戒が必要な期間が続く見通し」と説明する。
    • 午後3時30分 - 日本政府が災害警戒会議を開催する。
    • 夜 - 赤坂自民亭が開催。
  • 7月6日
    • 午前10時30分 - 再び会見が行われ、「大雨特別警報を出す可能性がある」と説明する。
    • 午後3時30分 - 政府が災害警戒会議を開催する。
    • 午後5時10分頃 - 気象庁が福岡県佐賀県長崎県の3県に大雨の特別警報を発表する。その後の会見で中国地方近畿地方にも特別警報を出す可能性に言及する。
    • 午後7時40分頃 - 鳥取県岡山県広島県の3県に大雨特別警報が出される。その後の会見で、兵庫県などにも特別警報を出す可能性に言及する。
  • 7月8日
    • 午前8時 - 政府が非常災害対策本部を設置する。

問題点[編集]

  • 菅義偉官房長官7月12日の記者会見で7月5日に警戒会議を開いた事実などを挙げて、政府の初動に問題はないとの見解を示している。しかし当の菅は7月8日に周囲に「ここまで被害が大きくなるとは思わなかった」と漏らしている。
  • 長期政権が続いているため、気の緩みや緊張感の無さがあると識者は指摘している。
  • 安倍は7月7日午前の関係閣僚会議後、東京・富ヶ谷の私邸に戻って終日過ごしている。
  • 政治評論家小林吉弥は「日本は災害国であり、危険の知らせがあれば緊張感を持ってすぐに対応に当たるべきだ。5日夜に酒宴を続けたのは、自民党の緩みや緊張感の無さが指摘されている」と指摘した。
  • 橋下徹は「赤坂自民亭が開かれた7月5日の段階で、安倍さんは何をすべきだったというのであろうか。こうすべきだった、というもの(行動基準)があり、それを怠ったのであれば当然批判を受けなければならない。5日の段階で、気象庁や河川管理者は、河川の決壊やダムの急激な放流を予測できたのか。仮に予測ができたとしても、そこから決壊を防いだり、ダム容量を拡大したり、河川の護岸整備をすることは不可能である。そうなると、住民避難誘導しか残っておらず、これは繰り返しになるが、各地方自治体である市町村の責任だ」「今回の被害の全ての責任を国・日本政府に負わせるのであれば、地方分権なんて止めた方がいい。国・日本政府に全責任を負わせる以上、権限も国に全て渡し、地方は国の手足になればいい。しかし、そのような中央集権体制にひずみが生じているということで地方分権が叫ばれたはずだ。住民に最も近い市町村という基礎自治体が、住民への個別具体的なサービスや安全の提供に権限と責任を持つ。ゆえに基礎自治体に権限と財源と人材を委譲していく。これが地方分権であり、そうであれば地方が責任もしっかりと負わなければならない」と、地方分権を絡めて分析した[1]
  • 本来与党を監視すべき立場の野党立憲民主党も同日に手塚仁雄衆院議員の政治活動25周年を記念するパーティーを開催し、枝野幸男代表、野田佳彦前総理、菅直人元総理、長妻昭代表代行、辻元清美国対委員長、蓮舫副代表らが参加した。結果的に、立憲民主党は大々的にこの問題を追及する機会を自ら逸してしまった。
  • 翌日の7月6日、オウム真理教麻原彰晃元代表ら7人の死刑が執行された。麻原元代表らの死刑執行は報復テロを誘発する可能性があり、政府をあげて万全を取らなければならない問題であるにも関わらず、その前夜に宴会を開いており、緊張感が無いと指摘されている[2]
  • 2001年えひめ丸事故では、当時の森喜朗首相は事故発生時に休暇を取りゴルフをプレーしていたが、事故の一報を聞いた後もそのままゴルフ場に留まった。これが大きな問題となり、森内閣は総辞職に追い込まれた。

出席者[編集]

この出席者のうち、岸田は広島県出身であり、大きな被害を西日本豪雨で受けた地元であるにも関わらず、宴会に参加していたことを批判されている。

その後[編集]

9月の北海道胆振東部地震では、与野党共に反省したのか迅速な初動対応が目立った。

出典[編集]