巣鴨プリズン

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巣鴨拘置所から転送)
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巣鴨プリズン(すがもぷりずん)とは、戦後、連合国軍総司令部GHQ)によって開設された戦争犯罪者収容所

概要[編集]

昭和20年(1945年8月15日日本ポツダム宣言を受諾して無条件降伏した後、日本を占領下に置いた連合国軍総司令部GHQ)が接収した東京拘置所を利用して、東京都豊島区に開設された収容所である。
この収容所に第2次世界大戦太平洋戦争期における日本の戦犯指定を受けた東条英機広田弘毅土肥原賢二板垣征四郎木村兵太郎松井石根武藤章極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けたA級戦犯ら7人のほか、B級戦犯、C級戦犯の死刑が執行された場所である。
昭和27年(1952年4月サンフランシスコ平和条約が発効されるとプリズンは日本政府に移管され、巣鴨刑務所と改称される。昭和33年(1958年)までに全ての戦犯が釈放されて、東京拘置所が再び巣鴨に置かれたが、1971年の小菅移転後に建物は解体された。その後、跡地には高層ビルであるサンシャイン60などが建てられ、刑場跡の公園には「永久平和を願って」と記された石碑も建立された。

施設名[編集]

当時の所在地の豊島区西巣鴨に由来。このため池袋駅に近い地に関わらず「巣鴨」の名称となっている。

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