細谷松太

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細谷 松太(ほそや まつた、1900年5月31日 - 1990年8月13日)は、労働運動家。元・全国産業別労働組合連合(新産別)中央執行委員。

経歴[編集]

山形県西村山郡谷地町(現・河北町)生まれ[1]。1912年谷地小学校(現・河北町立谷地中部小学校)卒業[2][3]。1913年に上京し、化学工場を転々とした後[1]、1921年に水夫となり、日本海員組合に加入[3]。1923年暮に下船し、東京ゴム会社に就職[1]。1924年日本労働総同盟(総同盟)に参加[4]。同年4月頃に総同盟の指導で組合を結成、また南部合同労働組合を結成して執行委員となる。1925年7月に日本労働総同盟関東合同労働組合を組織し、1926年に主事となる。同年12月の総同盟と日本農民組合(日農)の一部による日本労農党(日労党)の結党に際して発起人の一人となり、総同盟から除名された(総同盟第2次分裂)。同年12月に除名組で日本労働組合同盟(組合同盟)を結成し、1927年に中央執行委員、東京地方連合会委員長となる[1]。1928年頃から左傾化し[1]、1929年組合同盟内に革命的反対派を組織[3]、同年6月頃に日本共産党に入党[1]日本労働組合全国協議会(全協)の再建をすすめ、書記長となる[2]。同年11月に検挙され、懲役7年の判決を受けた。1936年に釈放され、1937年から共産党の再建をすすめたが、1941年に検挙された。1944年に釈放され、山形に帰郷した[1]。なお一時期、国家主義団体「日本建設協会」に参加し常任理事を務めていた[5][6]

敗戦後の1945年11月、伊藤憲一の誘いで上京し、共産党に復党。1946年12月全日本産業別労働組合会議(産別会議)の創立大会で事務局次長に選出され[1]、同組合日本共産党中央フラクション・キャップとなり、産別会議を主導した[2]。1947年の2・1スト中止後、党の組合介入に反対し、組合の民主主義的運営の必要性を主張する[7]。同年7月の自己批判大会を契機に党中央との対立を深め、同年末には離党、1948年2月に産別民主化同盟(産別民同)結成の中心となった[1]。1948年2月に共産党が細谷除名を発表[8]。1949年日本社会党に入党[9]。同年12月に全国産業別労働組合連合(新産別)を結成し、中央執行委員[2]、国際部長、政治部長となった[1]。産別民同に始まる民同運動は、1950年の新産別や総同盟左派などによる日本労働組合総評議会(総評)結成へと発展し、戦後労働運動の大きな転換点となった。1951年の左派社会党の結成で総評の高野実事務局長と手を組んだが[2]、1952年7月に新産別は総評から脱退した。以後の新産別は労働4団体の一角を占めたが、小団体に留まり大きな影響力を持つことは無かった。細谷は1969年に新産別の顧問に退き、以後は労働運動史の研究・執筆に取り組んだ[1]。著書に『日本労働運動史』(同友社、1948-1949年)、『戦後労働運動の歴史と人物』(日刊労働通信社、1972年)などがある。1981年に全2巻の著作集が刊行された。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『労働組合の實際』(協同出版社[新労働運動叢書]、1948年)
  • 『日本勞働運動史(上・下)』(同友社、1948-1949年)
  • 『労働戦線の分裂と統一』(牧書房[新労働運動選書]、1949年)
  • 『ものがたり勞働運動史』(新産別出版部、1952年)
  • 『社会党三題』(新産別出版部、1955年)
  • 『日本の労働組合運動――その歴史と現状』(社会思想研究会出版部[現代教養文庫]、1958年)
  • 『戦後労働運動の歴史と人物』(日刊労働通信社、1972年)
  • 『日本労働運動の進路――時評選集』(日刊労働通信社、1975年)
  • 『細谷松太著作集 1 日本労働運動史』(鼎出版会、発売:東邦出版、1981年)
  • 『細谷松太著作集 2 労働戦線の統一と分裂』(鼎出版会、発売:東邦出版、1981年)
  • 『細谷さん「民同」以後を語る(1・2)』(高橋昭夫[非売品]、1992年)

共著[編集]

  • 『日本外國勞働運動史』(鮎澤巌共著、中央勞働學園[新勞働教育講座]、1950年)
    • 改訂版『日本外国労働運動史』(鮎澤巌共著、日本労政協会編、日本労政協会、1952年)
  • 『労働運動史』(鮎沢巌共著、北海道庁労働部労働教育課編、中央勞働學園[労働教育講座]、1950年)
    • 『労働運動史』(鮎沢巌、渡辺惣藏共著、北海道庁労働部労働教育課編、日本労政協会[労働教育講座]、1952年)
  • 『労働運動のまがりかど――われわれの立場と主張』(太田薫古賀専和田春生原口幸隆共著、一橋書房、1955年)
  • 『労働者――総評・全労・新産別の主張』(岩井章、和田春生、江幡清共著、日本労働協会[JIL文庫]、1959年)
    • 1961年版『労働者――総評・全労・新産別の主張 1961年版』(岩井章、和田春生、江幡清共著、日本労働協会[JIL文庫]、1961年)

出典[編集]

  1. a b c d e f g h i j k 塩田庄兵衛編集代表『日本社会運動人名辞典』青木書店、1979年、499-500頁
  2. a b c d e 野沢信雄「細谷松太」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、1240-1241頁
  3. a b c 20世紀日本人名事典の解説 コトバンク
  4. デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説、世界大百科事典 第2版の解説 コトバンク
  5. 三戸信人「産別民同がめざしたもの(1)三戸信人氏に聞く」『大原社会問題研究所雑誌』第489号、1999年8月
  6. 伊藤隆『昭和期の政治(続)』山川出版社、1993年
  7. 伊藤晃戦後労働運動史の中から 第8回 細谷松太と高野実(2)」労組交流センター(2014年2月1日)
  8. 小山弘健著、津田道夫編・解説『戦後日本共産党史――党内闘争の歴史』こぶし書房(こぶし文庫 戦後日本思想の原点)、2008年、68頁
  9. 堀内慎一郎「「『総評―社会党ブロック』と『同盟―民社党ブロック』の対立」成立の萌芽――独立青年同盟の結成と排撃――」『年報政治学』67巻2号、2016年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]