百々綱家
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百々 綱家/百々 安行 どど つないえ/どど やすゆき | |||||||||||||||||||||||||
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百々 綱家/安行(どど つないえ/やすゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。織田氏、次いで山内氏の家臣。
生涯[編集]
織田信長の嫡孫で美濃岐阜城主の秀信の家老を務めるが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで秀信が西軍に属して没落したため、綱家も主家を失って京都に隠棲した[1]。
しかし、土佐藩主となった山内一豊に招聘されて7000石の知行を与えられる。慶長6年(1601年)から開始された高知城築城の総奉行に抜擢され、養子の直安(大塚丹後の次男)と共に大役を務めあげた。慶長10年(1605年)に一豊が死去したため、後継者の忠義に仕えた。慶長14年(1609年)12月22日に死去した。享年62[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]