現代における日本の植民地
現代における日本の植民地(現代における日本の植民地)は、存在しないというのが日本政府の見解であるが、琉球諸島が植民地に該当するとの指摘がある。
日清戦争以後獲得の植民地[編集]
1894年に勃発した日清戦争に勝利した日本は、下関条約に基づき、遼東半島(三国干渉)、台湾、澎湖諸島を獲得した。1904年より始まった日露戦争後に結ばれた、ポーツマス条約では、北緯50度以南の樺太を獲得。1910年には、当時の大韓帝国を武力で併合した。
1922年、日本は国際連盟より、旧ドイツ領ニューギニアの一部である南洋諸島の委任統治を託される。
日本は、1945年8月、ポツダム宣言を受諾し降伏。1951年にサンフランシスコ平和条約を結び、日清戦争以後に獲得したこれら全ての植民地の領有権を放棄した。
琉球王国[編集]
琉球王国の成立[編集]
沖縄島には、按司と呼ばれる豪族が各地に存在していたが、1429年に尚巴志がそれらを統一し、首里を首都とする琉球王国が成立した。琉球王国は、東アジアや東南アジアの国々との中継貿易で栄えた。
国際的地位[編集]
1609年、薩摩藩が侵攻し、琉球王国は事実上その支配下におかれることになったが、清への朝貢関係も続いた。1854年には、アメリカと琉米修好条約を、続いてフランスと琉仏修好条約、オランダと琉蘭修好条約を結んでおり、国際的には、独立国としての一定の地位を保っていたことがうかがえる。
琉球処分[編集]
1872年、琉球王国を日本領に編入したいと考えた日本政府は、一方的に琉球王国を琉球藩とし、さらに1879年には、武力によって琉球の人々の反対をおさえ、沖縄県を設置した。琉球処分によって、当時の国王尚泰や現地の人々の抵抗もむなしく、日本に併合され、琉球王国は滅亡した。また、現地の人々に対しては本土への同化政策がとられた。
戦後の沖縄[編集]
日本のポツダム宣言受諾後、沖縄県はアメリカ軍の統治下に入るが、沖縄の人々の土地が軍事基地建設のために強制収用されるなどしたため、沖縄の人々らは日本への復帰を求める運動を行った。これは、軍政からの解放と、平和主義を規定する日本国憲法の適用を望んだためであると言われているが、軍事基地はほとんど縮小されず、県民の期待は裏切られることとなった。
独立運動[編集]
このような歴史から、沖縄県には独自の文化が存在し、沖縄の人々の一部には、琉球諸島以外の日本列島、とりわけ本州に住む和人(大和民族)とは違う集団、すなわち琉球民族であることを自認し、そのことをアイデンティティと捉え、日本からの分離・独立を主張している。そして、琉球民族独立総合研究学会などが、琉球処分が国の代表への強制を禁止する当時の国際法に違反しているとして日本国政府を非難している。
中華人民共和国や北朝鮮が、日本やアメリカの弱体化を狙い、独立運動を扇動しているとの指摘がある。アメリカも琉球政府時代に、いわゆる本土復帰運動を牽制する目的で「琉球は独自の文化を持った独立国である」として独立を煽っていた時期がある(牧港補給地区補助施設、守礼の光も参照)。