遼東半島

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遼東半島(りょうとうはんとう、リャオトンはんとう、リアオトンパンタオ)とは、現在の中華人民共和国の東北地区の遼寧省南部、渤海に突出した半島のことである。半島の先端部には、貿易である大連がある。半島名は「遼河の東側の地方」を意味する。

概要[編集]

1894年日清戦争の際、日本軍が遼東半島全域を制圧し、1895年に結ばれた下関条約で日本の領有権が認められた。しかし、日本の大陸進出を警戒するロシアフランスドイツを誘って三国干渉を行なった結果、日本はやむなくこれを受け入れ、清に遼東半島を返還する。1898年にロシアは遼東半島南端の大連旅順租借地とする。

1904年から始まった日露戦争で日本が優勢のまま1905年ポーツマス条約が結ばれると、日本が遼東半島の租借権を継承し、そこに関東州を設置する。以後、遼東半島は日本軍の大陸進出における一大拠点として繁栄した。しかし1945年第2次世界大戦太平洋戦争で日本が敗戦を迎えると同時に遼東半島はソ連の実効支配下に置かれ、まもなく中華民国に、次いで1949年に中華人民共和国が成立すると独立を支援したソ連から中華人民共和国に「返還」された。1988年に大連、営口などを含む遼東半島全域が沿海経済開放区に指定され、外資誘致による経済活動の活性化が行なわれている。