狆
狆(ちん)は、日本原産の愛玩犬の1品種。
他の小型犬に比べ、長い日本の歴史の中で独特の飼育がされてきた為、抜け毛・体臭が少なく性格は穏和で物静かな愛玩犬である。 狆の名称の由来は「ちいさいいぬ」が「ちいさいぬ」、「ちいぬ」とだんだんつまっていき「ちん」となったと云われている。 また、【狆】と云う文字は和製漢字で中国にはなく、屋内で飼う(日本では犬は屋外で飼うものと認識されていた)犬と猫の中間の獣の意味から作られたようである。 開国後に各種の洋犬が入ってくるまでは、姿・形に関係なく所謂小型犬の事を狆と呼んでいた。 庶民には「ちんころ」などと呼ばれていた。
歴史[編集]
狆の起源[編集]
祖先犬は、中国から朝鮮を経て日本に渡った、チベットの小型犬と見られる。詳しくはわからないが、おそらくチベタン・スパニエルの系統の短吻種犬(鼻のつまった犬)であり、ペキニーズとも血統的なつながりがあると考えられる。
『続日本紀』には、「天平四年、聖武天皇の御代、夏五月、新羅より蜀狗一頭を献上した」とある。天平4年は奈良時代、西暦では732年だが、このときに朝鮮(新羅時代;377年 - 935年)から日本の宮廷に、蜀狗、すなわち蜀(現在の中国四川省)の犬が贈られたという記録である。これが狆に関連する最古の記録である。
現在では、すべての短吻種(たんふんしゅ)犬の祖先犬はチベットの原産であることが知られているが、このときはおそらく、この奇妙な小型犬の原産地は、西方奥地の山岳高原地帯というだけで、はっきりとは知られていなかったのだろう。
なお、『日本書紀』には、天武天皇の章に、672年、新羅から「駱駝、馬、狗」などの動物が贈られたという記載がある。この「狗」が短吻種犬であったとすれば、狆の歴史はさらに遡ることになる。
次いで『日本紀略』には、「天長元年(824年)四月、越前の国へ渤海国から契丹の蜀狗二頭来貢」とある。『類聚国史』では、この件を「天長元年四月丙申、契丹大狗ニ口、[犬委]子ニ口在前進之」としており、この「[犬委]子」(小型犬)も狆の祖先犬であろうと言われる。
天武ないし天平期からこのころまでの前後100年余の間に、「蜀狗」と呼ばれた短吻種犬が何度か渡来した。
因みに「高麗犬(こまいぬ)」という意味は、本来は朝鮮から入ってきた犬の呼称であった。
また、文献によっては、日本から中国(唐時代;618年 - 910年)並びに朝鮮(渤海時代;698年 - 926年)に派遣された使者が、直接日本に持ち帰ったとも記されているという。
しかし実際には、これらの犬が現在の狆の先祖とは考えにくく、シーボルトの記述によると、戦国時代から江戸時代にかけて、北京狆(ペキニーズ)がポルトガル人によってマカオから導入され、現在の狆に改良されたという。いずれにしても室町時代以降に入ってきた短吻犬や南蛮貿易でもたらされた小型犬が基礎となったと思われる。
狆の祖先犬は、当初から日本で唯一の愛玩犬種として改良・繁殖された。つまり、狆は日本最古の改良犬でもある。とは言うものの、現在の容姿に改良・固定された個体を以て狆とされたのは明治期になってからである。
近世以降[編集]
江戸時代、「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれた5代将軍徳川綱吉の治世下(1680年 - 1709年)では、江戸城で座敷犬、抱き犬として飼育された。 また、吉原の遊女が好んで狆を愛玩したという[1]。
1853年にはペリー提督によって数頭がアメリカに持ち帰られた。 そのうちの2頭は(1頭とも)、同年、イギリスのビクトリア女王に献上されたという。ビクトリア女王は愛犬家として知られ、ペキニーズ、ポメラニアン、マルチーズなどを犬種として固定した。
江戸時代以降も、主に花柳界などの間で飼われていたが、大正時代に数が激減、第二次世界大戦によって壊滅状態になった。しかし戦後、海外から逆輸入し、高度成長期の頃までは見かけたが、洋犬の人気に押され、日本犬でありながら、今日では非常に稀な存在となり、年配者以外の世代の者は、この犬種の存在さえ知らない事が殆どである。
欧米でのかつての名を「ジャパニーズ・スパニエル」 Japanese Spaniel というが、スパニエル種の血統とは無縁であり、混同を避けるために現在では「ジャパニーズ・チン」Japanese Chin と改名されている。
飼育上の注意点など[編集]
- 飼育の際は室内飼いが基本。
- 絹糸のような毛並みは、定期的なブラッシングを怠ると、もつれることもある。
- 短吻種の特徴的な疾患である呼吸困難と、耳のケアには注意が必要である。
文化[編集]
「狆」は天皇が自身の事を「朕」を称することから、天皇の事で、「豚」は「豚公方」と渾名された慶喜のことをさしている。最後の将軍である徳川慶喜には様々な渾名が付けられているが、「豚公方」や「豚一」と言った渾名もあったという。
- 「ちんくしゃ(狆くしゃ)」とは、「狆がくしゃみをしたよう(な顔)」の略で、不美人の形容。このような語の存在は、狆が一般によく親しまれていたことのあらわれと言ってよい。
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の猫の飼い主、珍野苦沙弥(ちんの-くしゃみ)先生(作者自身がモデル)の名も、これにちなむものと思われる。
畜犬団体[編集]
脚注[編集]
- ↑ 川柳に 「毛氈へ狆を引連れ着座也」 「がらがらと鳴らせば狆も見世を張り」 など。