武井昭夫
武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 2010年9月22日)は、日本の文芸評論家、活動家。「活動家集団 思想運動」主宰[1][2]。
経歴[編集]
神奈川県横浜市出身。旧制東京高校卒業。東京大学文学部西洋史学科中退。旧制東京高校在学中の1945年10月25日、日本で最初の高校自治会の結成に参加した[3]。1946年、日本共産党に入党。東大文学部在学中の1948年、全日本学生自治会総連合(全学連)の結成に参加して初代委員長となり、1952年に所感派全学連に座を明け渡すまで5期を務めた。全学連委員長として反戦平和運動や学費値上げ反対闘争をはじめとする戦闘的学生運動を指導し、「輝ける委員長」と呼ばれた。当時の共産党の学生運動の指導方針は、学生を「小ブル分子」と規定し「実践的に鍛えなおさなければつかいものにならない」とするものだったが、武井は独自の役割を持つ学生は階級闘争の主体に成り得るとする「層としての学生運動論」(通称「武井理論」)を唱え、党中央と対立した[4]。この運動論は新左翼の誕生を準備したが、武井はブントの別党コースには批判的であり、共産党除名後も新左翼勢力とは一線を画した。
1950年秋、レッドパージ反対ストを指導して退学処分。共産党が分裂した「五〇年問題」で同党統一委員会(いわゆる国際派)に所属し[5]、1952年に党を除名された[6]。同年に新日本文学会(中野重治書記長、花田清輝編集長)常勤編集部員となり、文芸批評活動を開始した[5]。1954年、中野が宮本顕治を支持して花田編集長を解任した事件に抗議して編集部員を辞任。1955年、六全協により共産党に復党し、東京都常任委員に選出。新日本文学会の活動にも復帰し、常任幹事を務めた[5]。1956年に吉本隆明との共著『文学者の戦争責任』を刊行して注目を集めた[7]。1958年に吉本隆明・井上光晴・奥野健男らと『現代批評』を創刊[5]。1960年10月に谷川雁・吉本隆明・関根弘・鶴見俊輔・藤田省三ら党内外の知識人と「さしあたってこれだけは」と題する安保闘争総括のアピールを発表し、これにより翌1961年4月に1年間の党員権停止の処分を受けた[8]。同年中に新日本文学会や旧東京都委員の有志と共に党中央の官僚主義や党内民主主義破壊を批判して再び党を除名された。
新日本文学会では花田清輝や大西巨人らと活動し、映画や演劇の評論でも活躍した。事務局長や『新日本文学』編集長を務め、1964年の新日本文学会第11回大会にあたっては、共産党の政策に反する大会への報告案を事前に『新日本文学』誌上に掲載するという前例のない行動をとり、共産党の影響力を排除する先頭にたった。1972年に退会。1969年3月に津田道夫らと「活動家集団 思想運動」を結成し[9]、以後は同集団の機関紙『思想運動』、機関誌『社会評論』を拠点に活動する。ソ連崩壊後もマルクス=レーニン主義の原則的立場を守り、ソ連・キューバ・朝鮮民主主義人民共和国を擁護し続けたため、「古典的マルクス主義者」「教条的マルクス主義者」「スターリン主義者」と評されることもある。2010年、「活動家集団 思想運動」の全国運営委員会責任者に就任[5]。同年9月22日、尿管がんのため川崎市の病院で死去、享年83歳[10]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『芸術運動の未来像』 現代思潮社、1960年
- 『創造運動の論理』 晶文社、1963年
- 『現代日本の反動思想』 晶文社、1966年
- 『批評の復権』 晶文社(晶文選書)、1967年
- 『武井昭夫批評集 1 戦後文学とアヴァンギャルド――文学者の戦後責任』 未來社、1975年
- 『武井昭夫批評集 2 創造の党派性――思想としての文学』 未來社、1975年
- 『武井昭夫批評集 3 文学の危機――現代文学の状況批判』 未來社、1977年
- 『武井昭夫政治論集――世界と日本 もう一つの見方』 小川町企画出版部、発売:新読書社、1983年
- 『演劇の弁証法――ドラマの思想と思想のドラマ』 影書房、2002年
- 『戦後史のなかの映画――武井昭夫映画論集』 スペース伽耶、2003年
- 『わたしの戦後――運動から未来を見る 武井昭夫対話集』 スペース伽耶、2004年
- 『層としての学生運動――全学連創成期の思想と行動 武井昭夫学生運動論集』 スペース伽耶、2005年
- 『"改革"幻想との対決――改憲阻止、そして反撃に転じるために 武井昭夫状況論集 2001-2009』 スペース伽耶、2009年
- 『闘いつづけることの意味――われわれは冬を越す蕾 武井昭夫状況論集 1994-2001』 スペース伽耶、2010年
- 『社会主義の危機は人類の危機――武井昭夫状況論集 1980-1993』 スペース伽耶、2010年
- 『原則こそが、新しい。――武井昭夫状況論集 1980-1987』 スペース伽耶、2010年
- 『創造としての革命――運動族の文化・芸術論』 スペース伽耶、2011年
共著[編集]
- 『文学者の戦争責任』 吉本隆明共著、淡路書房、1956年
- 『新劇評判記』 花田清輝共著、勁草書房、1961年
- 『運動族の意見――映画問答』 花田清輝共著、三一書房、1967年
編著[編集]
- 『労働者文学――創造の現場から』 久保田正文、武内辰郎共編著、社会新報、1975年
- 『濱口國雄詩集』 濱口国雄著、中村慎吉共編・解説、土曜美術社(日本現代詩文庫)、1983年
- 『濱口國雄詩集――新編』 同、土曜美術社出版販売(新・日本現代詩文庫)、2009年
脚注[編集]
- ↑ 145鈴木市蔵さんを偲ぶ会 吉川勇一の個人ホームページ(2006年3月3日)
- ↑ 文芸評論家の武井昭夫さん死去 - おくやみ・訃報 asahi.com(2010年9月13日)
- ↑ 第八寮歌「春残更に」 東京都立大学附属高等学校同窓会
- ↑ 高沢皓司、高木正幸、蔵田計成『新左翼二十年史――叛乱の軌跡』新泉社、1981年、11頁
- ↑ a b c d e 創造としての革命 運動族の文化・芸術論 オンライン書店e-hon
- ↑ 絓秀実、井土紀州、松田政男、西部邁、柄谷行人、津村喬、花咲政之輔、上野昂志、丹生谷貴志『LEFT ALONE――持続するニューレフトの「68年革命」』明石書店、2005年、85頁
- ↑ 武井昭夫(たけい てるお)とは コトバンク
- ↑ 『LEFT ALONE――持続するニューレフトの「68年革命」』明石書店、2005年、102頁
- ↑ 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、174頁
- ↑ 武井昭夫氏死去 文芸評論家 47NEWS(2010年9月23日)