蔵田計成
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蔵田 計成(くらた けいせい、1934年 - 2020年2月22日[1])は、新左翼活動家[2]、著述家[注釈 1]、塾講師[4]。「くらた かずなり」とも読む[3]。
経歴[編集]
山口県由宇町(現・岩国市)生まれ。1953年山口県立柳井高等学校卒業。1957年早稲田大学第二政経学部に入学。2年時に自治会役員となり、勤評闘争に参加。同年秋に警職法反対全学ストライキを闘い、全学中央闘争委員会調査部長として無期停学処分。日本共産党に入党したが[5]、1958年末共産主義者同盟(第一次ブント)の結成に参加[2][6]。1959年春東京都学生自治会連合(都学連)副委員長・都学連書記局員に就任[5]、60年安保闘争を闘う。1960年5月26日、国会前でデモを指揮して逮捕された[7]。同年夏のブント分裂の際には、反全学連書記局派の東大細胞と蔵田ら早大細胞による「革命の通達派」(革通)結成の中心的役割を担った。革通派は「池田内閣打倒ゼネスト」に失敗し、同11月には消滅した[8]。
1964年早稲田大学第二政経学部卒業[6]。雑誌記者、フリージャーナリストなどを経て、著述業に専念[4]。1968年にマスコミ反戦連合委員会を結成し議長に就任[9]。70年代終わりから20年間、自宅で学習塾を営む[7]。60年安保闘争時のブント関西地方委員会議長で、桃山学院大学名誉教授の小川登が2006年に結成した「九条を守る会」(後に9条改憲阻止の会に改称)に参加[8][7]。
主著に日本の新左翼の歴史をまとめた『新左翼運動全史』(1978年)や、加納大の筆名で書いた論文「『文藝春秋』の魔女狩りを告発する」(1976年[10])などがある[4]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『安保全学連』 三一書房、1969年
- 『新左翼運動全史』 流動出版、1978年
共著[編集]
編著[編集]
- 『新左翼理論全史――1957-1975』 高沢皓司共編、新泉社、1984年
- 『検証内ゲバ Part2――21世紀社会運動の「解体的再生」の提言』 いいだもも共編著、社会評論社、2003年
分担執筆[編集]
- 査証編集委員会編『「赤軍」ドキュメント』新泉社、1978年
- 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』 流動出版、1981年
- 戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』 新泉社、1985年
- 『日本大百科全書(全26巻)』 小学館、1984-1994年
- さらぎ徳二『我かく闘えり――破防法闘争三二年』 情況出版、2001年
- 日本科学者会議編『環境問題資料集成 第6巻 公害対策・公害行政』 旬報社、2003年
- 加藤哲郎、伊藤晃、井上學編『社会運動の昭和史――語られざる深層』 白順社、2006年
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 草丘望「蔵田計成氏を偲ぶ」公共空間X
- ↑ a b 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』平凡社、1987年、349頁
- ↑ a b 日外アソシエーツ編集部編『新訂増補 人物レファレンス事典 昭和(戦後)・平成編 Ⅱ(2003-2013)あ-す』日外アソシエーツ、2003年、1098頁
- ↑ a b c 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年、935-936頁
- ↑ a b 60年安保世代は現情勢をどのように見ているのか アジア新時代研究会研究誌『アジア新時代と日本』第77号(2009年11月5日)
- ↑ a b 60年安保世代が6・15国会デモ/6・15国会突入闘争の歴史的意味(蔵田計成) 労働者共産党機関紙『プロレタリア』441号(統合85号)(2006年)
- ↑ a b c 臼井敏男『叛逆の時を生きて』朝日新聞出版、2010年、236頁
- ↑ a b 伴野準一『全学連と全共闘』平凡社新書、2010年、141-142、230-231頁
- ↑ 「平和人物大事典」刊行会編著『平和人物大事典』日本図書センター、2006年、219頁
- ↑ 環境問題資料集成 第6巻 公害対策・公害行政 旬報社