松本龍 (政治家)

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松本 龍(まつもと りゅう、昭和26年(1951年5月17日 - 平成30年(2018年7月21日)は、日本政治家衆議院議員部落解放運動家。民主党に所属して復興大臣を担当した。

経歴[編集]

福岡県福岡市出身。祖父全国水平社の中心人物で「部落解放の父」と呼ばれ、参議院副議長を務めた松本治一郎である。

平成2年(1990年)の第39回衆議院議員総選挙旧社会党から出馬して初当選する。以後、平成25年(2012年)まで7期務めた。

旧民主党政権では環境大臣防災担当大臣として初入閣を果たす。平成22年(2010年10月愛知県名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議COP10)において議長を務める。

2010年9月29日尖閣諸島中国漁船衝突事件で日中関係が緊迫する中、現役閣僚の環境大臣として中華人民共和国建国61周年を祝うレセプションに出席した[1]

平成23年(2011年)に東日本大震災が発生すると、それを受けて新設された復興対策担当大臣に就任するが、岩手県宮城県知事に対して「知恵を出さない奴は助けない」などと発言。釈明会見では「言葉足らずだったり、私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい」「私はちょっとB型で短絡的なところがあって」と自身の出生地や血液型などを引き合いに出し、あたかもそれが今回の騒動の一因であるかのような謝罪を行って[2]顰蹙を買い、任命9日目において引責辞任した。松本はわずか数日の間に暴言を幾度となく繰り返したが、彼をよく知る人は「おとなしい、いい人です」「あんなしゃべり方初めて聞いた」と話しており、この一連の暴言は菅直人首相を退陣へ追い込むためにわざと発言した可能性があると考察したメディアもあった[3]

平成25年(2012年)の第46回衆議院議員総選挙では落選し、事実上政治家生命を終えた。

平成30年(2018年)7月21日午前0時55分、肺癌のため、福岡県福岡市の病院で死去した。67歳没。

批判[編集]

2011年3月11日東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原子力発電所事故に際しては、防災担当相を拝命しているにもかかわらず「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」[4]「ボンボン育ちで、修羅場をとても仕切れない。地震発生時にはパニックに陥り、以来、会見もできない」[4]「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」[4]などと批判されている。「震災が発生した3月11日から数日間、被災地救援や物資輸送が滞り、その後の活動に多大な悪影響を及ぼしたが、松本氏はその"元凶"と目されている」[4]ともいわれる。防災担当相として松本がやるべき仕事はほとんど仙谷由人が行っており、松本は単なるお飾りと化しているとの指摘もある[4]

この点について、ジャーナリストの寺園敦史は「『解放新聞』(ウェブ掲載分)でさえ何も報じていないのは、身内としても記事にしようがないほどの無能力ぶりを発揮していることの証か。そして、これだけ無能力でもマスコミや被災地から、ろくろく批判を受けないですんでいるのは、松本大臣が背負っているものを見て、ちゅうちょしているからなのか(普通ならマスコミやワイドショーなどの格好の餌食になってもおかしくないと思う)」[5]と評している。

また、『週刊文春』2011年7月14日号は、松本氏の義理の兄弟(妻の姉の夫)が北九州市に本拠を置く指定暴力団工藤會の総裁野村悟であることを伝えた上で、「今後の復興に向けて、がれき処理や住宅建設の問題を巡って、暴力団とのしがらみやゼネコンに絡む様々な利権の話が必ず出てきます。そういったときに特定の暴力団と関係のある松本氏が大臣という立場に適切なのかどうか」との民主党関係者の懸念を報じている[6]

福岡空港は、空港用地の地権者である松本組を含める地主への地代総額が年間80億円にも達し、相場を度外視した地代のために毎年地代分の赤字を計上しているという。しかも「同和問題の解消に資するため」に固定資産税の課税は免除されてきた[7]

共産党との確執[編集]

部落解放同盟と対立関係にある日本共産党に度々批判を受けている。

2011年7月4日、共産党の小池晃ツイッターで、松本が解同の副委員長を務めていることを引き合いに出して「大臣はもちろん国会議員の資格なし」「『書いたら終わりだぞ』というマスコミ恫喝は、部落解放同盟の地金が出たものでしょう」と批判した。なお解放同盟と共産党は1960年代後半から対立関係にあるという[8]

余談[編集]

ウィキペディアの記事では、度々特徴的な要約欄の使い方をする利用者によって除去荒らしが行われている。復興大臣時代の言動が尾を引いているのだろうか。もう許してあげてほしい。

脚注[編集]

外部リンク[編集]