朝比奈泰勝

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朝比奈 泰勝
あさひな やすかつ
改名 弥太郎、惣左衛門(仮名)
性別
年齢 87
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生年月日 天文16年(1547年
死没日 寛永10年9月23日1633年10月25日
肩書き 江戸幕府旗本
国籍 日本国旗.png日本
子供 泰成泰吉
養子泰重
朝比奈泰知
家族構成 泰冬泰雄泰勝

朝比奈 泰勝(あさひな やすかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将旗本今川氏徳川氏の家臣。

生涯[編集]

仮名は弥太郎(やたろう)、惣左衛門(そうざえもん)。

はじめ今川氏真に仕え、氏真没落後も引き続き仕えている。天正3年(1575年)5月の長篠の戦いの際、徳川家康の陣へ氏真の使者としての役割を果たし、その際に家康に気に入られて家康の家臣となり、長篠の戦いにも参加して武田氏配下の名将・内藤昌豊を討ち取って高名を挙げた。天正7年(1579年)、1330貫を与えられた。

天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加して功を立てた。戦後は北条氏政豊臣秀吉らへの使者を務め、大番頭に任じられる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、近江国栗太郡の内で1000石を与えられ、江戸幕府旗本となる。後に家康の子で紀伊徳川家の当主となった徳川頼宣付となり、87歳の長寿を全うした。

系譜[編集]

朝比奈泰勝が登場する作品[編集]