朝比奈泰勝
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朝比奈 泰勝 あさひな やすかつ | |||||||||||||||||||||||
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朝比奈 泰勝(あさひな やすかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。今川氏、徳川氏の家臣。
生涯[編集]
仮名は弥太郎(やたろう)、惣左衛門(そうざえもん)。
はじめ今川氏真に仕え、氏真没落後も引き続き仕えている。天正3年(1575年)5月の長篠の戦いの際、徳川家康の陣へ氏真の使者としての役割を果たし、その際に家康に気に入られて家康の家臣となり、長篠の戦いにも参加して武田氏配下の名将・内藤昌豊を討ち取って高名を挙げた。天正7年(1579年)、1330貫を与えられた。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加して功を立てた。戦後は北条氏政、豊臣秀吉らへの使者を務め、大番頭に任じられる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、近江国栗太郡の内で1000石を与えられ、江戸幕府旗本となる。後に家康の子で紀伊徳川家の当主となった徳川頼宣付となり、87歳の長寿を全うした。