今川氏真
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今川氏真(いまがわうじざね)は、安土桃山時代の武将、江戸時代の大名、江戸時代の芸術家、僧侶。その使えない性格から「うつけ」と呼ばれる。
概要[編集]
1538年出生。徳川家康より5歳年上である。1560年、桶狭間の戦いに出ていた父、今川義元の代わりに駿河国と遠江国の管理を任されるが、義元の戦死のため全ての領地を持つ事になった。
1563年、当時今川氏真に支えていた小野政次(井伊氏2代筆頭)(初代筆頭の小野政直は義元に謀略がバレて処刑された)は井伊直虎との婚約ができない事に不満を持ち、その時直虎に嫁いでいた井伊直親は謀略に嵌まり氏真に謀反を起こしてしまう。これにより直親は処刑された。
1566年、徳川家康が三河の領地を統一する為今川領に侵攻する。氏真の軍はあっさり負けて、三河を統一され、氏真の威信は失われた。今川氏はさらに武田信玄に北から侵攻されたことで勢力を失い、家康に助命を乞いた。その後は、妻方の実家の北条氏を経て家康などに仕え、1570年代に出家し僧侶となる。1603年の江戸幕府設立後は芸術にも力を注いだ。
1614年、江戸で死去。享年66。今川家は江戸幕府の高家として存続した。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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