建部氏

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建部氏(たけべし)とは、日本氏族である。江戸時代外様大名となった。家格は陣屋。江戸城内の詰間は柳間。家紋は建部蝶(蝶菱・三蝶、笠)。

概要[編集]

平清盛の流れをくむ一族とされ、建部の姓に関しては近江国建部(現在の滋賀県八日市市)にちなむという。この建部氏は織田信長の時代に建部寿徳(高光)が信長に仕えたことが立身の契機となる。信長の没後は豊臣秀吉に仕え、畿内などで郡代など奉行職を歴任して力をつけた。秀吉没後の慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで寿徳の子・建部光重西軍に属して危機に陥りもしたが、戦後は処罰を受けることなく済んでいる。以後は徳川家康に仕え、慶長15年(1610年)に光重の3男・建部政長摂津国尼崎の郡代に任命される。そして慶長19年(1614年)からの大坂の役において江戸幕府に属して尼崎の守備を務め、また縁戚の播磨国姫路藩主・池田利隆の口添えもあり、家康は政長に尼崎に1万石を与え、ここに尼崎藩が成立した。

元和3年(1617年)に政長は播磨林田藩に移封されたが、以後は政長の5男である建部政宇伏見奉行に就任した以外は特に大過も無く、明治維新を迎えている。明治時代の華族令では子爵に封じられた。

近江建部氏系図[編集]

寿徳(高光)
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光重政長
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政明  政宇
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    政辰  政周
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        政民 九鬼隆寛 有馬光隆
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        長教  政賢
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            光平  政醇
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                政和 土井利教 政世