九鬼隆寛
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九鬼 隆寛(くき たかのぶ、元禄13年(1700年[1]) - 天明6年5月23日[1](1786年6月19日))は、丹波綾部藩の第4代藩主[1]。
生涯[編集]
播磨林田藩主・建部政周の3男[1]。正室は黒田直邦の娘[1]。子に九鬼隆恭(長男)、九鬼隆由(次男)、九鬼隆邑(三男)、九鬼隆貞(四男)、九鬼隆許(五男)、娘(永井直行正室のち浅野長寿正室)、娘(諏訪頼寿室)、娘(花房職雍継室)。養子に九鬼隆英。官位は従五位下備前守、大隅守[1]。
正徳2年(1712年)に先代藩主・九鬼隆直の養嗣子となる[1]。正徳3年(1713年)1月30日、養父の隠居により家督を継いだ[1]。正徳5年(1715年)、藩校である進徳館を創設する[1]。しかし享保年間には天災が相次いで藩札の発行や上米制度、御用金賦課などの対応策を試みた[1]。明和3年(1766年)3月8日、家督を四男の隆貞に譲って隠居し、天明6年(1786年)5月23日に87歳で死去した[1]。法号は休翁隆山泰岳院[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『三百藩藩主人名事典3』藩主人名事典編纂委員会 編、1987年。新人物往来社