林田藩

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林田藩(はやしだはん)は、江戸時代前期から明治時代初期まで播磨国揖東郡に存在したである。石高は1万石。藩主家は外様大名建部氏。藩庁は林田陣屋。現在の兵庫県姫路市に存在した。

概要[編集]

元和3年(1617年)に摂津国尼崎藩主だった建部政長は、播磨国揖東郡に所領を移されて林田藩を立藩して陣屋を構えた。所領は38村であった。

林田の所領は米の生産量が高く、年貢率が6割5分の高率だった事情もあるが、元禄年間では内高は1万5000石を数えていた記録がある。また、歴代藩主は小藩ながら伏見奉行寺社奉行を歴任するなど重用されている。

第8代藩主・建部政醇は藩校敬業館を創設した。さらにこの頃になると藩財政が厳しくなったこともあり、文政12年(1829年)に藩札を発行している。

明治4年(1871年)の廃藩置県により、林田藩は消滅した。

歴代藩主[編集]

建部家

外様。1万石(1617年 - 1871年

  1. 政長
  2. 政明
  3. 政宇
  4. 政周
  5. 政民
  6. 長教
  7. 政賢
  8. 政醇
  9. 政和
  10. 政世

幕末の領地[編集]