郡代
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郡代(ぐんだい)とは、鎌倉時代末期から江戸時代までの武家の役職である。江戸時代には江戸幕府の郡代として広大な所領を支配した。別名を郡奉行(こおりぶぎょう)という。
概要[編集]
戦国時代までの郡代[編集]
鎌倉時代には、郡を1つの単位として、守護の代行として軍事権・警察権を行使していた守護代のことを郡代と言った。
室町時代になると、この郡代に警察権・軍事権の他に租税関係の権限まで与えることになり、事実上の守護大名と変わらなくなった。
戦国大名の時代になると、当主以外では統治しきれなくなった広大な所領を家臣を郡代に任命して任せる例も確認されている。
武田信玄などはその初期に重臣の板垣信方を諏訪郡代に任命して、統治や軍事を任せていた。
江戸時代[編集]
江戸時代になると、江戸幕府は幕領に地方官を設置し、その地の租税の徴収や民政、裁判などを任せた。江戸時代初期には関東郡代・尼崎郡代・三河郡代・丹波郡代・河内郡代の5郡代が置かれた。これらは幕領10万石以上の広大な所領を治めることを任され、勘定奉行の支配下に置かれていた。
江戸時代中期以降は関東郡代、美濃郡代、西国筋郡代、飛騨郡代の4郡代に改編された。郡代の役料は400俵であった。
また、藩にもそれぞれ郡代が設置されていた。