実業学校
実業学校 (じつぎょうがっこう)とは、職業に関する教育を行う学校。本ページでは特に旧学制下の学校について記述する。
概要[編集]
本稿では実業学校令によって明治中期以降に設置され、1943年の学制改革によって、中学校、高等女学校とともに勅令上は中等学校に統合され、1947年に施行された学校教育法によって新制高等学校に吸収された中等教育機関について述べる。
旧学制下での実業学校は、尋常小学校を卒業した者に対して5年制の教育を行った。また、卒業生に向け、1年制の研究科が置かれた。
普通科目が7割存在し、残りの3割を職業教育に充てた。地域の中堅職業人を育成したほか、野球などのスポーツ競技にも大きな影響を与えた。a
男子生徒に向けての教育が殆どだったが、学制改革直前には女子だけの実業学校が存在した。
種類[編集]
商業、工業、農業、水産のほか、薬業、酪農といった地域性のあるものもあった。
商船学校は似た制度であるが、生徒は軍籍にあったり、一時的に運輸通信省(逓信省)管轄になるなど性格の異なる学校であった。また、逓信省管轄下には国民学校高等科入学資格の無線電信講習所が存在した。
卒業後の進路[編集]
就職した者が多いが、高等実業学校や実業補習学校教員養成所に進学した者、稀ではあるが、師範学校、専門学校、高等学校や大学予科に進学した者もいる。
終焉[編集]
1943年の学制改革によって4年制に短縮され、夜間課程も正規の課程となった。さらに商業を敵視した軍国主義の浸透、非理工医系学生の徴兵猶予の縮小で「商業」の文字が忌み嫌われて男子商業学校は一県一校にまで減らされて工業学校に転換させられた。江戸時代以来の士農工商の完成である。普遍的な英語教育も敵性語として排除された。戦後、減らされた商業学校は復活したところが増えた。
学校教育法の施行によって1947年に新制中学校が発足すると、すべての実業学校で新入生募集を停止し、翌年の1948年には新制高等学校に転換。旧制の3、4年在校生は新制高等学校に編入[注 1]したことによって実業学校は廃校となった[注 2]。この時、運輸省管轄下だった商船学校や逓信省管轄下だった無線電信講習所は改組されなかったが、無線電信講習所は1949年、商船学校は1951年に文部省に移管されて国立の電波・商船高等学校となった。
現状[編集]
実業教育(職業教育)を行う学校は世界に広く存在し、現在の日本でも高等学校職業科、高等専門学校、専修学校がそれを担っている。
1948年当初、単独の実業高校として発足した旧実業学校のうち公立校は、高校三原則の名の下、水産高校を除き、旧制中学、高女を前身とする高等学校普通科と統合させられ、総合制高等学校として再編されたが、旧実業学校卒業生の反感を呼んで単独実業高校復興の動きが広がり、公立総合制高校の大半は、1955年頃までに普通科単独高校と職業科単独高校に分離した[注 3]。
私立校も職業科を持つ高校に多くが転換した[注 4]が、職業科を廃科にして大学進学者向けの普通科に転換した高校が徐々に増加している。
現在も早稲田実業学校高等部や浦和実業高等学校のように、進学コースが主力ながら学校名に旧制の実業学校の名残を留める高校がある。
1951年までに文科省に移管された国立の電波・商船高校は、1974年までに電波工業高専や商船高専に転換された。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 百瀬孝『事典昭和戦前期の日本』吉川弘文館2002年8月20日第8刷発行。ISBN-4-642-03619-9
- 百瀬孝『事典昭和戦後期の日本』吉川弘文館1995年7月10日第1刷発行。ISBN-4-642-03658-X