大高城

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大高城(おおたかじょう)とは、現在の愛知県名古屋市緑区大高町城山に存在した日本である。現在は大高城址公園となっている。

概要[編集]

大高城は戦国時代前期の永正年間(1504年 - 1520年)に花井備中守によって築城され、居城とした。その後、織田信秀信長父子が尾張で勢力を確立した頃には水野忠氏が居城としていた。忠氏は信長に属していた。しかし永禄2年(1559年)に信長の家臣鳴海城主・山口教継今川義元に寝返ったため、信長の属城となっていた沓掛城と大高城は共に今川氏の属城になってしまった。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにおいて大高城には当時、松平元康と名乗って今川義元の家臣となっていた後の徳川家康が兵糧入れを行ない、そのまま守備に付いていた。しかしこの戦いで義元は信長に討たれ、元康は三河に帰国し、その後に大高城は廃城となった。

江戸時代前期の元和2年(1616年)、尾張藩付家老であった志水忠宗が1万石を与えられて大高城跡に自らの居宅を設けた。明治3年(1870年)にこの屋敷も廃された。

昭和13年(1938年12月、国の史跡に指定された。

城跡は標高20メートルほどの丘にあり、東西106メートル、南北32メートルで、四方に2重の堀をめぐらしていたとされ、現在は外堀が藪として残っているほか、本丸跡中央に「大高城址碑」がある。

アクセス[編集]

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