国際自由労連
国際自由労連(こくさいじゆうろうれん、英語:International Confederation of Free Trade Unions、略称:ICFTU)は、かつて存在した国際労働組合組織。英語の正式名称を日本語に直訳すると「国際自由労働組合連盟」となるが、「国際自由労連」と呼ばれることが多い。国際自由労働組合連合、国際自由労働組合総連合、国際自由労働組合総連盟、自由労連、世界自由労連とも呼ばれる。本部はベルギーのブリュッセルにあった。
概要[編集]
マーシャル・プランの是非をめぐる対立から1949年1月に世界労連(WFTU)を脱退したイギリス労働組合会議(TUC)、アメリカ産業別組合会議(CIO)と、反共主義の立場から世界労連に加盟していなかったアメリカ労働総同盟(AFL)が中心となって[1]、1949年11月28日~12月6日および12月7日~9日の間、ロンドンで開催された自由世界労働者会議、国際自由労連創立大会で国際自由労連が結成された[2]。発足当初の組織勢力は53ヶ国59中央組織4,800万人[3]。結成大会に参加した代議員は261人。初代会長はベルギーのポール・フィネー、初代書記長はオランダのジャープ・オルデンブロック。大会最終日に採択された創立宣言では「パンと平和と自由」をスローガンとし[1]、大会で採択された規約では「全世界の自由にして民主的な労働組合に組織される労働者を結集し、ここに掲げる諸目標の推進によって、相互間の協議と協力のための機関となることをその存立の目的とする」と定めた[4]。
世界労連の分裂により、国際労働組合組織は西側諸国の大半の労組が加盟する国際自由労連(ICFTU)、東側諸国の労組と西側諸国の一部の労組が加盟する世界労連(WFTU)、ラテンアメリカやベルギーのキリスト教系労組が加盟する国際キリスト教労連(WCL。1968年より国際労連)の3組織体制となった[5]。ICFTUは社会民主主義、反共主義[5]、労働組合主義[6]、親米、労使協調主義の路線をとり[7]、WFTUと対立した。1969年2月にアメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)がICFTUの開発途上国援助をめぐる不正経理疑惑、AFL-CIOから脱退した全米自動車労組(UAW)のICFTU加盟、ICFTU本部が東西労組の交流の活発化を黙認していることなどに反発して脱退したが、1982年5月のICFTU第80回執行委員会で復帰が承認された[1]。1973年2月にICFTUのヨーロッパ加盟組織がヨーロッパ労連(ETUC)を結成した。それに伴いICFTUのヨーロッパ組織は解散し、1974年にWCLのヨーロッパ傘下組織やWFTU準加盟組合のイタリア労働総同盟(CGIL)がETUCに加盟した[1]。ETUCの成長につれてヨーロッパにおけるICFTUの影響力は小さくなった[5]。
冷戦終結後、WFTUの事実上の崩壊、WFTUの旧加盟組織やどちらにも末加盟だった労組の加盟により、世界最大の国際労働組合組織となった[8]。1999年時点では143ヶ国の213組織が加盟していた[9]。2001年3月時点では148ヶ国・地域の221組織が加盟、約1億5,500万人の組合員を擁していた[4]。2004年12月時点では152ヶ国の234組織が加盟、1億4,800万人の組合員を擁していた[10]。2006年10月に解散し[6]、同年11月にWCL、どちらにも末加盟だった8つの組織と統合して国際労働組合総連合(ITUC)を結成した。
地域組織[編集]
主な加盟組合[編集]
- アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)
- ドイツ労働組合連盟(DGB)
- 日本労働組合総連合会(連合/JTUC)
- [イギリス]労働組合会議(TUC)
- フランス民主労働同盟(CFDT)
- フランス労働総同盟・労働者の力(CGT-FO)
- イタリア労働総同盟(CGIL)
国際産業別労働組合組織[編集]
国際自由労連系の国際産業別労働組合組織(GUFs)。
- 国際建設林業労働組合連盟(BWI) - 2005年12月に国際建設林産労組連盟(IFBWW)と世界建設林業労組連盟(WFWB)が統合して結成。
- 教育インターナショナル(EI) - 1993年1月に国際自由教員組合連盟(IFFTU)と世界教職員団体総連合(WCOTP)が統合して結成。
- 国際ジャーナリスト連盟(IFJ)
- 国際金属労連(IMF) - 2012年6月にインダストリオール・グローバルユニオン(IndustriALL)に統合。日本組織は全日本金属産業労働組合協議会(金属労協/IMF-JC)。
- 国際化学エネルギー鉱山一般労連(ICEM) - 2012年6月にインダストリオール・グローバルユニオン(IndustriALL)に統合。
- 国際繊維被服皮革労働組合同盟(ITGLWF) - 2012年6月にインダストリオール・グローバルユニオン(IndustriALL)に統合。
- 国際運輸労連(ITF)
- 国際食品関連産業労働組合連合会(IUF)
- 国際公務労連(PSI)
- UNIグローバルユニオン(UNI) - 2000年1月に国際コミュニケーション労連(CI)、国際商業事務専門職技術労連(FIET)、国際製版印刷労連(IGF)、国際芸術・マスコミ・芸能・映画放送労連(MEI)が統合して結成。
- 国際芸術・エンターテイメント連盟(IAEA)
日本との関係[編集]
1949年の結成大会には日本から加藤閲男国労委員長、森口忠造全日労議長、滝田実全繊同盟会長、原口幸隆全鉱委員長、荒木正三郎日教組委員長の5人が出席した(空飛ぶ5人男)[1]。翌年に国際自由労連加盟を志向して総評が結成されたが、朝鮮戦争と東西冷戦が強まる中、1951年3月の第2回大会で一括加盟案を否決し、1987年まで積極中立路線を掲げた[5]。AFLはCIA資金などを用いて総評分裂=同盟結成を画策[5]。1964年4月に全労が一括加盟、1965年1月に同盟がこれを自動的に継承し、同盟は滝田実・塩路一郎・宇佐美忠信を副会長に送り込む有力組合となった[6]。その後、労働戦線再編の中で1987年11月に結成された民間連合が一括加盟し、1989年11月の連合結成後も名義変更して加盟を継続した[8]。総評は解散直前の1989年9月の81回定期大会で国際自由労連加盟を決定した。
- 加盟組合
- 1951年3月時点:全繊、海員、全鉱、日教組、国労、炭労、全逓、私鉄総連、日放労、都市交通[11]
- 1956年7月時点:炭労、全逓、日教組、全鉱、都市交通、日放労、海員、全繊、総同盟、全映演、日駐労、東北電労、中部電労、自動車労連[12]
- 1983年6月時点:同盟、全逓、全鉱、炭労、都市交、日放労、電通労連、自動車総連[13]
- (1985年6月:商業労連、鉄鋼労連、電力総連が正式加盟)
- (1986年1月:電機労連、全日通が正式加盟)
- (1987年1月:全石油、全国ガス、ゴム労連が正式加盟)
- 1988年6月時点:民間連合、全逓、都市交、全官公[14]
出典[編集]
- ↑ a b c d e 日本労働年鑑 第69集 1999年版(PDF)法政大学大原社会問題研究所
- ↑ 石幡信夫『日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、1990年、102頁
- ↑ 高橋泰藏、増田四郎編集『体系経済学辞典 第6版』東洋経済新報社、1984年、233頁
- ↑ a b 厚生労働省労使関係担当参事官室編著『第2版 日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、2002年、90-91頁
- ↑ a b c d e 小川正浩「シリーズ比較労働運動研究(12)新段階へ向かう国際労働運動―自己批判と模索の中から―(PDF)」『生活経済政策』2008年7月号
- ↑ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「国際自由労働組合連盟」の解説 コトバンク
- ↑ 山田敬男『戦後日本 労働組合運動の歩み』学習の友社、2019年、56頁
- ↑ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)「国際自由労連」の解説 コトバンク
- ↑ 百科事典マイペディア「国際自由労連」の解説 コトバンク
- ↑ 国際労働運動の歴史と国際労働組合組織 独立行政法人労働政策研究・研修機構、2005年2月
- ↑ 中北浩爾『日本労働政治の国際関係史1945-1964――社会民主主義という選択肢』岩波書店、2008年、96頁
- ↑ 労働省編『資料労働運動史 1956』労務行政研究所、1958年、989頁
- ↑ 日本労働年鑑 第55集 1985年版(PDF)法政大学大原社会問題研究所
- ↑ 日本労働年鑑 第58集 1988年版(PDF)法政大学大原社会問題研究所
関連項目[編集]
関連文献[編集]
- 木畑公一『戦後国際労働運動の軌跡――国際自由労連と日本』(生産性出版、1991年)
- 小笠原浩一『労働外交――戦後冷戦期における国際労働連携』(ミネルヴァ書房、2002年)
- 鈴木則之『アジア太平洋の労働運動――連帯と前進の記録』(明石書店、2019年)
- デジタル大辞泉「ICFTU」の解説