木畑公一

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木畑 公一(きはた こういち、1920年10月13日[1] - 2011年5月3日[2])は、労働運動家、国際労働ジャーナリスト[3]。元・全日本労働総同盟(同盟)国際局長、全日本海員組合国際部長。

海員組合・全労・同盟で国際畑を歩む。便宜置籍船(コンビニ船)問題の専門家。

経歴[編集]

岡山県生まれ。1944年神戸高等商船学校卒業後、川崎汽船に入社。第2次戦時標準船利川丸」に二等機関士として乗り組み、関東軍部隊を釜山からマニラへ輸送する任務に就く[4]。1946年11月海上勤務から全日本海員組合執行部に入る[3]。本部情報部員、文化部次長を経て[5]、教育部次長。1957年2月より1年間、国際運輸労連(ITF)アジア事務所長代理[6]。1958年海員組合に復帰、教育部次長[7]、1959年中央執行委員[8]。1962年1月全日本労働組合会議(全労)教宣部長、情宣国際部長[9][10]。1964年11月全日本労働総同盟(同盟)初代国際局長[11]。1968年1月同盟国際局長から海員組合に復帰[12]。国際部長[13]、渉外部長、広報部長[14]、中央執行委員(1974年11月~)[15]、国際・渉外局長を歴任[16]。1982年11月海員組合の第一線から退き、顧問に選任[17]

この間、国際自由労連アジア地域組織(ARO)執行委員(1966年12月~1968年1月)[12][18]、ITF執行委員(1968年7月~1977年)[19][20]、ITF公正慣行委員会(FPC)委員(1968~1985年)[17]国際労働機関(ILO)合同海事委員会委員(1970~1983年)[19][17]、自由労連加盟組織連絡協議会(ICFTU・LC)運営委員(1977年~)[21]、ITFアジア船員地域委員会副議長(1978年~)を歴任[20]。1985年に国際労働運動の第一線から退く。

全国勤労者文化協会(全文協)常任理事(1955年~)[22]全国文化運動協会(全文協)常任理事(1963年~)[23]、全日本労働総同盟組合会議(同盟会議)国際委員会委員長、核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)国際部長(1963~1969年)、専任理事(1966~1969年)[24]、全国労組生産性企画実践委員会(1968年より全国労働組合生産性会議)委員(1959~1974年度)[25]船員中央労働委員会委員、社会保険審議会委員、日本ILO協議会評議員、中央社会保険医療協議会委員、船員保険会理事[26]日本労働ペンクラブ幹事も務めた[27]

現役引退後は日本労働ペンクラブ事務局次長[27]。1984年『アジア船員と便宜置籍船』(成山堂書店、1982年)で第3回日本労働ペンクラブ賞を受賞[28]。1985年信州大学経済学部客員講師[29]。2005年時点で東京商船大学神戸商船大学海技大学校本科の同窓会組織である一般社団法人海洋会の顧問[27]

著書『便宜置籍船――海の多国籍企業』(成山堂書堂、1974年)、『マルシップと便宜置籍船』(成山堂書店、1977年)、『アジア船員と便宜置籍船』(成山堂書店、1982年)には大河内一男が推薦文を寄せている。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『青年労働者――世界に目を向けよう』(今日の問題社[教養青年文庫]、1962年)
  • 『外国の労働者・日本の労働者』(日本生産性本部生産性労働資料センター[生産性労働文庫]、1971年)
  • 『世界の労働運動と日本』(日本生産性本部労働部[生産性労働双書]、1971年)
  • 『新しい国際労働運動――国益との接点に立って』(銀座出版社、1973年)
  • 『便宜置籍船――海の多国籍企業』(成山堂書堂、1974年、改訂1975年)
  • 『マルシップと便宜置籍船』(成山堂書店、1977年、改訂版1978年)
  • 『アジア船員と便宜置籍船』(成山堂書店、1982年)
  • 『戦後国際労働運動の軌跡――国際自由労連と日本』(日本生産性本部、1991年)
  • 『コンビニ船の告発』(文芸社、2002年)
  • 『ある船乗りの太平洋戦争』(新風舎[新風舎文庫]、2005年)

共著[編集]

  • 猪瀬直樹、信州大学客員講師団著『なぜ日本人は働きすぎるのか』(平凡社、1988年)

監修[編集]

出典[編集]

  1. コンビニ船の告発 紀伊國屋書店
  2. 『海洋』第874号PDF、海洋会、2011年10月、44頁
  3. a b 木畑公一「国際連帯 36 ICFTU・ITSと日本およびアジアの国ぐに 世紀の地殻変動の中で」『労働レーダー』第15巻第4号(通巻167号)、1991年4月
  4. 木畑公一『ある船乗りの太平洋戦争』新風舎文庫、2005年
  5. 『時間短縮』日本労働協会、1960年
  6. 『全日本海員組合十五年史』全日本海員組合、1963年、1206頁
  7. 木畑公一「ITFアジア事務所での一年」『月刊自由労連』第3巻第3号、1958年3月
  8. 木畑公一「労働運動夜話-7-組織内の調和ということ-2-」『労働レーダー』第15巻第11号(通巻174号)、1991年11月
  9. 木畑公一「国際連帯 13 国際自由労連一括加盟までの苦難の道程 全労問題の総括」『労働レーダー』第13巻第5号(通巻144号)、1989年5月
  10. 同盟編集部「機関誌「同盟」物語」『同盟』第200号、1975年3月
  11. 木畑公一「国際連帯 14 ICFTUと日本およびアジア各国の足どり 同盟発足のころ」『労働レーダー』第13巻第6号(通巻145号)、1989年5月
  12. a b 木畑公一「国際連帯 18 ICFTUと日本およびアジア各国の足どり アメリカ労働戦線の波騒」『労働レーダー』第13巻第10号(通巻149号)、1989年10月
  13. 国民講座・日本の安全保障編集委員会編『国民講座・日本の安全保障 (6) 1970年問題』原書房、1968年
  14. 木畑公一『便宜置籍船――海の多国籍企業』成山堂書堂、1974年
  15. 木畑公一「労働運動夜話-7-改革と挫折-1-」『労働レーダー』第17巻第1号(通巻188号)、1993年1月
  16. 木畑公一『マルシップと便宜置籍船 改訂版』成山堂書店、1978年
  17. a b c 木畑公一「ITFの公正慣行委員会に出席して」『世界の労働』第35巻第7号、1985年7月
  18. 木畑公一「ずいそう国際労働運動(9)ARO会長のことなど」『海員』第24巻第1号(通巻269号)、1972年1月
  19. a b 木畑公一「国際連帯 20 ICFTUと日本およびアジア各国の足どり 海のILO総会」『労働レーダー』第13巻第12号(通巻151号)、1989年12月
  20. a b 木畑公一「国際連帯 28 ICFTU・ITSと日本およびアジアの国ぐに 「NO」と言えるアジア」『労働レーダー』第14巻第8号(通巻159号)、1990年8月
  21. 木畑公一「国際連帯 24 ICFTUと日本およびアジア各国の足どり LC時代の幕開け」『労働レーダー』第14巻第4号(通巻155号)、1990年4月
  22. 脇田由郎「教宣人生雑記-13-」『同盟』第250号、1979年5月
  23. 脇田由郎「教宣人生雑記-15-」『同盟』第252号、1979年7月
  24. 『核兵器廃絶の叫び――核禁会議二十年史』核兵器禁止平和建設国民会議、1982年、142-143頁
  25. 全国労働組合生産性会議40周年記念誌PDF』全国労働組合生産性会議、2000年
  26. 木畑公一『アジア船員と便宜置籍船』成山堂書店、1982年
  27. a b c ある船乗りの太平洋戦争 紀伊國屋書店
  28. 日本労働ペンクラブ授賞者リスト 日本労働ペンクラブ
  29. 「書評/「戦後国際労働運動の軌跡」」『労働レーダー』第15巻第11号(通巻174号)、1991年11月