落合英一
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落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1993年6月10日)は、労働運動家、評論家。筆名は北 竜平。元・全国産業別労働組合連合(新産別)書記長、国際自由労連東京事務所所長[1]。
経歴[編集]
岩手県岩手郡葛巻町生まれ。1936年横浜高等工業学校応用化学科卒、三井化学三池染料工業所に入社。兵役を経て、1943年東京芝浦電気(東芝)に入社[1]。1945年12月東芝堀川町工場従業員組合の結成に参加、委員長[2][3]。1946年10月全日本電気工業労働組合(全電工)初代委員長[4]。全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員を兼務[1]。1947年の2・1スト以降、日本共産党のフラクション活動に反対し、産別会議の民主化運動に取り組む。1948年2月、細谷松太、三戸信人、光村甚助、喜田康二、大谷徹太郎らと産別民主化同盟(産別民同)を結成[5]。1949年2月全国労働組合会議準備会(全労会議)代表常任委員[6]。同年4月の社会党第4回党大会で中央執行委員に選出[7]。同年12月、細谷松太、三戸信人らと全国産業別労働組合連合(新産別)の結成を主導[5]。新産別結成と同時に東芝を退社、新産別書記長に就任[2]。1964年2月に新産別の書記長、本部専従を辞任し、国際自由労連東京事務所所長に就任[8]。1977年同事務所長を辞任[2]。1978年アジア社会問題研究所常任理事[1]。国際自由労連東京事務所長退任後は評論活動を行った[9]。社団法人日本文化フォーラム評議員も務めた[10]。
著書[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c d 20世紀日本人名事典の解説 コトバンク
- ↑ a b c 水野秋「落合英一」、朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、480頁
- ↑ 神奈川県労働部労政課編『神奈川縣労働運動史(1945-51年)』神奈川県労働部労政課、1953年
- ↑ 高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』明石書店、2015年、202頁
- ↑ a b 三戸信人「産別民同がめざしたもの(1)三戸信人氏に聞く」『大原社会問題研究所雑誌』第489号、1999年8月
- ↑ 桂労働関係研究所編『労働年鑑 昭和22-38年版』桂労働関係研究所、1947-1962年
- ↑ 神林章夫「戦後経済の復興と組合民主化運動」『信州大学経済学論集』第14号、1979年8月
- ↑ 新産別二十年史編纂委員会編『新産別の二十年 2』新産別、1970年
- ↑ ものがたり戦後労働運動史Ⅴ 人物メモ 落合英一 公益社団法人教育文化協会
- ↑ 「〈資料と解説〉「体制派文化人」の組織と人脈」『月刊社会党』第235号、1976年7月