世界労働組合連盟
世界労働組合連盟(せかいろうどうくみあいれんめい、英語:World Federation of Trade Unions)は、1945年に結成された国際労働組合組織。略称はWFTU、世界労連。世界労働組合連合とも。
概要[編集]
第2次世界大戦中の反ファシズム統一戦線を基盤として[1]、1945年2月6日~17日にロンドンで開催された第1回世界労働組合会議で国際組織の結成が決定され、1945年9月25日~10月9日にパリで開催された第2回世界労働組合会議で世界労働組合連盟(WFTU)が結成された[2]。中心となったのは全ソ労働組合中央評議会(全ソ労評/ACCTU)、イギリス労働組合会議(TUC)、アメリカ産業別組合会議(CIO)、フランス労働総同盟(CGT)などで[1]、事実上、第二インター系の国際労働組合連盟とコミンテルン系の赤色労働組合インターナショナルの合流が実現した[3]。加盟を拒否した主要組織はアメリカ労働総同盟(AFL)のみだった[4]。結成大会には56ヶ国65団体6,700万人の代表187人と17の産業別組織の代表、合計346人の代議員が出席した[3]。大会後に開かれた総評議会では会長にイギリスのウォルター・シトライン、書記長にフランスのルイ・サイヤンが選ばれた[3]。
その後、東西冷戦を背景として、アメリカ主導のマーシャル・プランの是非をめぐり、この計画を「アメリカの帝国主義的世界制覇計画であり、欧州民族の奴隷化計画」であると批判する東側労組と、この計画を支持するアメリカ、イギリス、オランダなど西側労組の間で対立が生じた[3]。また個々の国際産業別書記局(ITS)を統合し世界労連に加盟させようとしたソ連系労組と、ITSの自立性を保つべきだと主張する国際運輸労連(ITF)を中心としたITSの間でも対立が生じた[5][6]。1949年1月にTUC、CIO、オランダ労働総同盟(NVV)が世界労連からの脱退を宣言[7]。続いてCGTとイタリア労働総同盟(CGIL)を除くヨーロッパの大半の組織が世界労連を脱退し、1949年11月にAFLとともに国際自由労連(ICFTU)を結成した[1]。世界労連の分裂により、国際労働組合組織は社会民主主義・反共主義の立場に立つ西側諸国の大半の労組が加盟する国際自由労連、東側諸国の労組と西側諸国の一部の労組が加盟する世界労連、ラテンアメリカやベルギーのキリスト教系労組が加盟する国際キリスト教労連(1968年より国際労連)の3組織体制となった[5]。
1948年にコミンフォルムからユーゴスラヴィア共産党が除名されると、1950年5月の第7回執行委員会で「ユーゴスラヴィア労働組合中央評議会指導者の裏切りについての決議」を採択した。スターリンの死後、ソ連とユーゴの関係改善が進み、1955年10月の第28回執行局会議で「ユーゴスラヴィア労働組合との友好関係をふたたび樹立することについての決定」を採択し、1956年3月の第29回執行局会議で「裏切りについての決議」を取り消した[8]。
1960年代に国際共産主義運動の路線対立の影響で内部対立が発生した。中ソ対立を契機として、1966年12月のWFTU第16回評議会で中華全国総工会の代表権を停止する決定が行われた。1968年8月のチェコ事件をめぐり、CGILやCGTと、全ソ労評や東欧諸国の労組が対立し、CGILは1973年8月の第8回大会で準加盟に後退、1978年の第9回大会で脱退した。CGTはこの大会で創設以来出してきた書記長のポストを降りた[3]。
80年代後半から90年代前半の東欧民主化・ソ連崩壊に伴い加盟組合が脱退し、大幅に弱体化した[1][9]。1992年に全ソ労評の後身であるCIS労働組合連盟が脱退した[10]。2000年にペレストロイカの中で結成されたロシア独立労働組合連盟(FNPR)が脱退した[2]。その後はキューバ労働総同盟(CTC)、朝鮮職業総同盟、全インド労働組合会議(AITUC)、ベトナム労働総同盟などが残り[1]、主に発展途上国、社会主義国、カリブ諸国、アラブ諸国の労組が加盟する組織となっている[2]。1995年3月時点では67ヶ国1億1,000万人[11]、2000年3月の第14回世界大会の時点では120ヶ国1億3,000万人[1]、2001年時点では67ヶ国・地域に95加盟組織、1億1,000万人の労働者を組織しているとされる[2]。
本部[編集]
本部はパリに置かれたが、1951年1月にフランス政府がフランス領内で世界労連が活動することを禁止したため、同年4月にオーストリアのウィーンに移転した[12]。1956年2月にウィーンから追放され、同年3月にチェコのプラハに移転した[13]。2001年時点でもプラハに本部を置いていたが[2]、2010年10月時点ではギリシアのアテネにある[1]。
労働組合インターナショナル[編集]
産業別部門として11の労働組合インターナショナルが設置されている[14][15][16]。
- Agroalimentary, Food, Commerce, Textile & Allied Industries(UISTAACT)
- Banks, Insurance & Financial Unions(BIFU)
- Construction, Wood and Building Materials Industries(UITBB)
- Hotel - Tourism(HOTOUR)
- Chemical, Energy, Metal, Oil and Allied Industries(CHEMISTRY-ENERGY)
- Mining, Metallurgy and the Metal Industries(TUI MMM)
- Public Services & Allied Workers(PS)
- World Federation of Teachers Unions(FISE)
- Transport(TRANSPORT)
- Pensioners(PyJ)
- Textile - Garment - Leather(TEXGAL)
日本との関係[編集]
1947年3月にルイ・サイヤン書記長をはじめとする世界労連の日本視察団が来日した。視察団は6月のプラハ会議で日本の賃金制度が年齢や勤続年数、家族数によっていることを批判し、同一労働同一賃金の原則の実施を求めた。世界労連は1国1単位のナショナルセンターを原則としていたため、視察団訪日に伴い産別会議と総同盟などによって全労連が結成された。全労連は総同盟などが脱退した後、1949年1月に世界労連に加盟した。1950年8月に全労連は解散し、世界労連の加盟組織は産別会議のみとなったが、1958年に産別会議は解散した[17]。1950年に国際自由労連加盟を志向して総評が結成されたが、朝鮮戦争と東西冷戦が強まる中、1951年3月の第2回大会で国際自由労連一括加盟案を否決し、1987年まで積極中立路線を掲げた[5]。
1983年6月時点では日本から4組合が世界労連に加盟していた。また7組合が世界労連傘下の労働組合インターナショナルに加盟していた[14]。
- 世界労連:全建労、全自交、建設一般全日自労、運輸一般
- 建築木材建築資材労働組合インターナショナル:全建労、建設一般全日自労
- 運輸港湾漁業労働組合インターナショナル:全自交、運輸一般
- 公共業務関連従業員労働組合インターナショナル:医労協、国公労連(準加盟)
- 世界教員組合連盟:日高教(準加盟)
2005年時点では日本から4組合が世界労連傘下の労働組合インターナショナルに加盟している[1]。また全労連は世界労連の大会にオブ参加し[2]、世界労連から全労連の大会にメッセージが寄せられるなど交流を持っている[18]。
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h 日本大百科全書(ニッポニカ)「世界労働組合連盟」の解説 コトバンク
- ↑ a b c d e f 厚生労働省労使関係担当参事官室編著『第2版 日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、2002年、92-93頁
- ↑ a b c d e 日本労働年鑑 第69集 1999年版(PDF)法政大学大原社会問題研究所
- ↑ 塩田庄兵衛「労働運動」日本大百科全書(ニッポニカ)
- ↑ a b c 小川正浩「シリーズ比較労働運動研究(12)新段階へ向かう国際労働運動―自己批判と模索の中から―(PDF)」『生活経済政策』2008年7月号
- ↑ ハロルド・ルイス「ITFの近代化」トランスポート インターナショナル第16号、2004年7月
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『社会・労働運動大年表 第2巻』労働旬報社、1987年
- ↑ 労働省編『資料労働運動史 1956』労務行政研究所、1958年、142頁
- ↑ 国際労働運動の歴史と国際労働組合組織 独立行政法人労働政策研究・研修機構、2005年2月
- ↑ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「世界労働組合連盟」の解説 コトバンク
- ↑ 世界大百科事典 第2版「世界労連」の解説 コトバンク
- ↑ 内閣総理大臣官房調査室編『ソヴィエト年鑑』日刊労働通信社、1954年
- ↑ 公安調査庁編『国際共産主義運動の沿革と現状』公安調査庁、1958年
- ↑ a b 日本労働年鑑 第55集 1985年版(PDF)法政大学大原社会問題研究所
- ↑ 百科事典マイペディア「世界労働組合連盟」の解説 コトバンク
- ↑ TUIs-Trade Union Internationals WFTU
- ↑ 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年、147頁
- ↑ 全労連第23回定期大会によせられた海外友好組合からのメッセージ 全労連
関連項目[編集]
- 引間博愛(世界労連執行委員)
- 中西五洲(世界労連執行委員)
- 細井宗一(1957年と1961年の世界労連大会に日本代表団長として出席)
- 小森良夫(世界労連機関誌日本語版『世界労働組合運動』編集、世界労連本部常駐スタッフ)
- 井出洋(世界労連本部に勤務)
- 国際労働組合総連合