全日本自動車産業労働組合総連合会
全日本自動車産業労働組合総連合会(ぜんにほんじどうしゃさんぎょうろうどうくみあいれんごうかい)は、自動車産業の産業別労働組合。略称は自動車総連。日本労働組合総連合会(連合)、全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)、ユニ・グローバル・ユニオン(UNI)に加盟している。1972年(昭和47年)10月に結成され、2017年(平成29年)3月時点でおよそ77万人が加盟している。毎年の春闘では総連が賃金改善などに関する統一要求を決め、各企業労組はそれに沿った形で経営側と労使交渉を進める。経営側は3月の中旬の集中回答日に一斉回答する。本部所在地は東京都港区高輪4-18-21 View-well Square(ビューウェル スクエア)。
歴史[編集]
1948年3月に結成された全日本自動車産業労働組合(全自動車)は総評最左派の産業別単一組合として知られていたが、日産争議の敗北と日産融資処理問題により1954年12月に解散した。その後、1956年1月にトヨタ・日産・いすゞ・日野の4労組が四社懇談会(四懇)を、1958年8月に中小労組も含めた全国自動車労働組合代表者懇談会(全懇)を発足させ、全国組織結成に向けた議論を続けた[1]。しかし、日産と系列会社の組合が日本自動車産業労働組合連合会(自動車労連)を結成して全労会議に加盟すると[2]、全国組織を中立として発足させるか、全労会議に加盟させるかをめぐり議論が難航し[3]、1961年11月に四懇・全懇は解散した[1]。
全懇解散後の1962年1月、日産を除く5労組(トヨタ・いすゞ・日野・日本電装・三菱東自)が中立の立場に立った全国自動車産業労働組合連合会(全国自動車)を結成し、同年5月にIMF-JCの結成に参加した[1]。同年10月に全国自動車や自動車労連など6労組が自動車産業労働組合連絡会議を発足させ、産別統一に向けた議論を続け[1][4]、1965年8月に連絡会議に参加した労組が中心となって自動車産業労働組合協議会(自動車労協。2単産・8労組、約22万人)を結成した[5]。初代議長は塩路一郎(自動車労連)。1971年4月に自動車労協としてIMF-JCに一括加盟した[1]。
1972年10月に自動車労協が連合体に発展するかたちで[6]、全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連。10連合・2協議会、約50万人)が結成された。会長は塩路一郎(自動車労連)、副会長は沢田寿(全トヨタ労連)、大曽根哲夫(全国マツダ労連)、平尾真一(三菱自労協)、事務局長は小川竹次郎(全いすゞ労連)。なお全国自動車は自動車総連結成前の1972年9月に解散したが[4]、自動車労連は自動車総連結成後も同盟を上部団体とした産別組織として存続し、同盟解散後の1989年1月に「全日産・一般業種労働組合連合会」(日産労連)に改称した[7]。自動車総連はIMF-JCの中核組織となり[8]、春闘相場の形成に大きな影響を与える位置を占めた[6]。1979年11月に国際自由労連(ICFTU)への加盟を決定した[4]。ナショナルセンターに対しては中立の立場をとっていたが、全民労協・民間連合・連合の結成に参加した。
労使協調路線をとり、政治的には民社党(民社協会)、新進党、新党友愛、民主党、民進党、国民民主党(2018~2020)、国民民主党(2020~)を支持している。2020年11月に自動車総連の中核的な組合である全トヨタ労連が与党の自民党・公明党と連携を図る動きがあると報道された[9][10][11]。
加盟労連[編集]
労連(略称) | 自動車メーカー | 組合員数(人) |
---|---|---|
全トヨタ労働組合連合会(全トヨタ労連) | トヨタ自動車 | 354,000 |
全日産・一般業種労働組合連合会(日産労連) | 日産自動車 | 128,000 |
全国本田労働組合連合会(全本田労連) | 本田技研工業 | 79,000 |
全国マツダ労働組合連合会(全国マツダ労連) | マツダ | 49,000 |
全三菱自動車・三菱ふそう労働組合連合会(三菱自動車ふそう労連) | 三菱自動車工業 | 39,000 |
スズキ関連労働組合連合会(スズキ労連) | スズキ | 29,000 |
全ダイハツ労働組合連合会(ダイハツ労連) | ダイハツ工業 | 26,000 |
SUBARU関連労働組合連合会(SUBARU労連) | SUBARU | 27,000 |
全国いすゞ自動車関連労働組合連合会(全いすゞ労連) | いすゞ自動車 | 18,000 |
日野自動車関連労働組合連合会(日野労連) | 日野自動車 | 12,000 |
ヤマハ労働組合連合会(ヤマハ労連) | ヤマハ発動機 | 16,000 |
日本自動車部品産業労働組合連合会(部品労連) | (部品メーカー) | 16,000 |
出典:自動車総連公式サイト。2021年3月5日閲覧。
歴代会長[編集]
代 | 会長 | 出身労組 | 就任 |
---|---|---|---|
1 | 塩路一郎 | 自動車労連 | 1972年 |
2 | 得本輝人 | 全トヨタ労連 | 1986年 |
3 | 草野忠義 | 日産労連 | 1998年 |
4 | 加藤裕治 | 全トヨタ労連 | 2001年 |
5 | 西原浩一郎 | 日産労連 | 2008年 |
6 | 相原康伸 | 全トヨタ労連 | 2012年 |
7 | 髙倉明 | 日産労連 | 2017年 |
8 | 金子晃浩 | 全トヨタ労連 | 2021年 |
組織内議員[編集]
衆議院議員[編集]
- 渡辺武三(1968年7月 - 1982年4月 / 民社党)
- 伊藤英成(1983年12月 - 2003年10月 / 民社党→新進党→新党友愛→民主党)
- 古本伸一郎(2003年11月 - 現職 / 民主党→民進党→希望の党→国民民主党→無所属)
参議院議員[編集]
- 田渕哲也(1968年7月 - 1992年7月 / 民社党)
- 栗林卓司(1971年6月 - 1989年7月 / 民社党)
- 寺崎昭久(1989年7月 - 2001年7月 / 民社党→新進党→新党友愛→民主党)
- 直嶋正行(1992年7月 - 2016年7月 / 民社党→新進党→新党友愛→民主党→民進党)
- 池口修次(2001年7月 - 2013年7月 / 民主党)
- 礒崎哲史(2013年7月 - 現職 / 民主党→民進党→国民民主党→無所属→国民民主党)
- 濱口誠(2016年7月 - 現職 / 民主党→民進党→国民民主党→無所属→国民民主党)
出典[編集]
- ↑ a b c d e 厚生労働省労使関係担当参事官室編著『第2版 日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、2002年、134-135頁
- ↑ 自動車労連(日本自動車産業労働組合連合会)[労]1955.1.23『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ 『自動車総連20年のあゆみ』全日本自動車産業労働組合総連合会、1993年
- ↑ a b c あゆみ 自動車総連
- ↑ 自動車労協(自動車産業労働組合協議会)[労]1965.8.26『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 コトバンク
- ↑ 歴史 日産労連
- ↑ 自動車総連(全日本自動車産業労働組合総連合会)[労]1972.10.3『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ 連合傘下「自動車総連」の一部に与党と連携図る動き NHK政治マガジン(2020年11月18日)
- ↑ 連合の有力労組「全トヨタ労連」 与党に接近か? NHK政治マガジン(2020年12月9日)
- ↑ 「有力労組離反か」立憲動揺 連合、選挙支援への影響否定 時事ドットコム(2020年11月20日)
関連項目[編集]
- 梅村志郎(会長代行)
- 中部産業・労働政策研究会