梅村志郎
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梅村 志郎(うめむら しろう、1927年[1] - 2012年7月8日)は、労働運動家。元全トヨタ労働組合連合会(全トヨタ労連)中央執行委員長、元トヨタ自動車労働組合執行委員長[2]。「トヨタ労組中興の祖」[3]。
経歴[編集]
愛知県小牧市生まれ。1941年トヨタ自動車工業に入社[1]。豊田工科青年学校技能者養成所3期生。1948年・1949年トヨタ自動車労働組合専門部員[4][5]。1966年全国自動車産業労働組合連合会(全国自動車)中央執行委員[1]。1968年9月トヨタ自動車労働組合副委員長、1971年9月同委員長(1982年9月まで)[6]。1982年全トヨタ労働組合連合会(全トヨタ労連)中央執行委員長(1986年まで)[4]、全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)会長代行[1]。1986年全トヨタ産業政策研究会(全トヨタ産政研)理事長[1]。1988年9月中部産業・労働政策研究会(中部産政研)初代理事長(1996年まで)[7]。
愛知県労働者福祉協議会(愛知労福協)副会長[8]、同代表幹事[9]、全トヨタ労連顧問、中部生産性本部顧問[1]、中部産政研常任顧問なども歴任[10]。1982年豊田市市政功労者[11]。
2012年7月8日、胸部下行大動脈瘤破裂で死去、85歳[2]。
出典[編集]
- ↑ a b c d e f 財団法人中部産業・労働政策研究会編『産政塾Ⅲ(PDF)』中部産業・労働政策研究会、1992年
- ↑ a b 梅村志郎さん死去 元全トヨタ労連委員長 - おくやみ・訃報 朝日新聞デジタル、2012年7月10日
- ↑ 加藤裕治「労使対等は形から」プライムCメディア、2016年9月6日
- ↑ a b 小池和男「対抗から共働へ―戦後労働史 その1 トヨタ1950年争議(2)」『経営志林』第49巻1号、2012年
- ↑ 大場隆広「戦後復興期および高度成長期初期における養成工の労働組合・労使関係への影響―日立製作所とトヨタ自動車の1950年争議に注目して―」『創価経営論集』第43巻2号、2019年
- ↑ トヨタ自動車75年史|労使関係|歴代三役・組合員数の推移 トヨタ企業サイト
- ↑ 「(財)中部産政研とは―(財)中部産政研を理解するために(PDF)」『産政研フォーラム』Vol.0、1988年
- ↑ 愛知県労働者福祉協議会歴代役員名簿 1983(昭和58年度)::愛知県労働者福祉協議会50周年記念誌[資料編] 愛知労福協
- ↑ 愛知県労働者福祉協議会歴代役員名簿 1986-87(昭和61-62年度)::愛知県労働者福祉協議会50周年記念誌[資料編] 愛知労福協
- ↑ あらためていま母を想うⅢ(PDF) VAV倶楽部
- ↑ 市政功労者一覧(PDF)豊田市