ケーシー高峰

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ケーシー高峰(けーしーたかみね、昭和9年(1934年2月25日 - 平成31年(2019年4月8日)は、漫談家俳優。医学部出身のため、白衣姿で笑いをとる医事漫談を得意ネタとした。黒板やホワイトボードをバックに白衣を着て、「グラッチェ」や「セニョリータ」などのスペイン語に医学用語を織り交ぜ、山形弁で朴訥に語る。コメディアン、俳優、歌手としても活躍。本名「門脇 貞夫(かどわき さだお)」。

生涯[編集]

山形県出身。既婚者。「医事漫談」で人気を集め、映画やテレビドラマの名脇役としても知られている。

日本大学入学当初は医学部に所属していたが、医者にはならずに芸術学部に転部。芸術学部を卒業後、司会業を経て漫談家となる。バラエティー番組に出演して「セニョール」などのスペイン語を交えながら白衣を着てお色気混じりで医学の知識を紹介する医事漫談で人気を集め、お茶の間で親しまれた。俳優としても活躍し、昭和45年(1970年)に「喜劇 冠婚葬祭入門」で映画初出演を果たす。以後、「遠雷」「塀の中の懲りない面々」など多くの作品で個性を発揮して名脇役として知られた。「夢千代日記」「新 事件」「木更津キャッツアイ」など多くのテレビドラマにも出演している。

医事漫談を始めたきっかけは、転部を認めてくれた芸術学部に何かの形で恩返ししたいと思い、舞台で白衣を着たことであったという。また、芸名のケーシーはアメリカの人気医療ドラマである「ベン・ケーシー」にちなんでのものである。

平成31年(2019年)4月8日午後3時30分、肺気腫のため、福島県いわき市病院死去した。85歳没。

経歴[編集]

  • 1934年2月25日、山形県最上郡最上町出身。
  • 新庄北高等学校卒業。
  • 新庄市の「門脇医院」を継ぐために日本大学医学部に入学[1]。代々医者の家系、ケーシー高峰の母も産婦人科として働いていた。兄弟、一族の多くが医師や歯科医となっている。[2][3]一説に、教授と合わなかったとされる。
  • 1957年、芸術学部に転部し卒業。宍戸錠と同級生[4]。芸人の道を志し、コロムビア・トップ門下の大空はるかと組んだ漫才コンビ「大空はるか・かなた」で活動開始。
  • 1967年から「エプロン寄席」(テレビ朝日)。
  • 1968年、改名し「ケーシー高峰」の芸名。漫談家に転身する。
  • 1969年、「おいろけ寄席」(テレビ東京)のレギュラー司会を担当[5]
  • 1981年(47歳)、ドラマ「夢千代日記」出演。
  • 2005年、舌ガンが発見され手術を受ける[6]
  • 2018年4月頃、「肺気腫」で入院。
  • 2019年4月8日、肺気腫のため福島県いわき市の病院で午後3時30分頃、死去。享年85歳[7]。喪主は妻の門脇詠子、告別式は近親者のみ。

人物[編集]

芸名は脳外科医の活躍を描いた「ベン・ケーシー」と、当時人気の女優、高峰秀子の名前を組み合わせたという。

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

演芸・バラエティ番組[編集]

広告[編集]

レコード[編集]

シングル[編集]

  • そりゃあないぜセニョリータ / ゆうべの僕(1970年5月) - 作詞:斉木克巳、作曲:村井邦彦、編曲:川口真
  • いこうぜセニョール / 知らない海(1970年10月)
  • 太郎と花子(サラポニタン) / 愛子……(1971年6月)
  • 可哀想だぜ / 別れた女(1973年7月)
  • やっぱり山形 / お金が恐い(1986年12月) - A面はあき竹城と共演。
  • 恐怖のブルース / つかない夜のジンクス(1987年7月)

アルバム[編集]

  • 『これでキマリだ! ケーシーの替歌集』
    A1.ケーシーの夢は夜ひらく
    A2.ケーシーのズンドコ節
    A3.ケーシーの四つのお願い
    A4.ケーシーのいい湯だな(いいナオンだな)
    A5.そりゃあないぜセニョリータ
    A6.ケーシーのいいじゃないの幸せならば
    B1.ケーシーの新宿の女(東京のひと)
    B2.ケーシーの女のブルース(男のブルース)
    B3.いこうぜセニョール
    B4.ケーシーの番外地小唄
    B5.知らない海
    B6.ゆうべの僕

参考文献[編集]

  1. ケーシー高峰さん死去東京新聞、2019年4月10日
  2. 【訃報】ケーシー高峰さん、肺気腫でTV朝日
  3. TV朝日サイトでは医学部卒業となっているが、卒業した年齢から考えると転部の方が妥当ではないか。
  4. 「宍戸錠は被災地でもモテモテだった」
  5. >INTERVIEW横浜中法人会、2016年01月
  6. 自分の病気さえ笑いに朝日新聞、2019年4月10日
  7. ケーシー高峰さんが死去