クウェート
クウェート国(クウェートこく、State of Kuwait(KW))とは、ペルシア湾の最奥部に位置する小国家である。政体は立憲首長制。国土面積は1万8000平方キロ(日本の四国と同規模)。人口は2011年の時点で259万6000人。人口密度は145.7人/㎢。首都はクウェート市。国名の由来は16世紀にポルトガル人が城砦を築いた際に、ペルシア語で「kuit(小さな砦を意味する)」と呼ばれるようになったことにちなむと言われている。元来はサンスクリット語の「kot(町あるいは城砦を意味する)」という。
概要[編集]
クウェートの国旗は、赤・緑・黒・白の4色で、汎アラブ色が使われている。
歴史[編集]
1756年、アネイザ族のサバーハ家の支配が始まる。しかし、この地はロシア帝国による南下政策の標的とされており、自らの利権を守りたいイギリスはここをロシア南下の阻止を狙って1899年に保護領とした。1938年、ブルガン油田が発掘されると、それを契機に当地は急速に発展を遂げてゆく。1961年6月19日、立憲首長制のもとに独立を果たした。1963年5月14日には国連に加盟している。
1990年、領有権とオイルマネーの配分を求めてイラクのサダム・フセインが武力侵攻し、クウェート全土を強制的に併合した。これにより1991年にはアメリカ軍を中心とした多国籍軍による湾岸戦争が始まり、多国籍軍の勝利によってイラクはクウェートから撤退した。しかし、湾岸戦争によって732か所の油田が爆破され、被害総額は1000億ドルに上るという大被害を受けた。また、これ以降もクウェートはイラク軍による威嚇攻撃を受けるようになり、1994年になってフセインはクウェートを主権国家として正式に承認するに至る。
潤沢なオイルマネーを背景にして社会福祉に力を入れるなど、その繁栄は2000年代前半まで続いていたが、国内では経済格差や民主化を求めての不満も鬱積されており、2005年5月になって国政選挙で初の女性参政権が認められている。
地理について[編集]
ペルシア湾の最奥部に位置する小国であるクウェートは、国土の大半が平たんな砂漠地で、最高点は306メートルである。全土が砂漠気候であり、高温乾燥の4月から10月は日中は50度近くまで上昇することがある。
首都・クウェート市の年平均気温は25.8度で、最高気温が7月の38度、最低気温は1月のマイナス12.6度であり、年間降水量は125ミリである。
経済について[編集]
ブルガン油田採掘の成功により「石油に浮かぶ国」と呼ばれているほど、原油産出が国家経済のほとんどを支えている。穀物の食料自給率はわずか1パーセントであり、自給改善のための農地開発を進めたり、灌漑用水や農土を輸入したりして、ナツメヤシやマングローブなどの植林活動も行なわれているが、大半は石油に支えられているのが現状である。そのため、潤沢なオイルマネーを背景にして海外投資による金融立国を目指す方針を打ち出している。
オイルマネーを背景にして、この国の国民は無税であり、さらに教育や医療の無料化といった社会福祉も進められて、世界でもトップレベルの所得水準の恩恵に浴してきた。1人当たりのエネルギー消費量も2000年代前半までは世界一であった。しかし、湾岸戦争による被害と、原油価格の暴落などで景気は大きく後退しており、国民の半数がアラブ諸国からの労働移住者で占められていることから、生活・経済格差が起こり、また彼らには選挙資格が与えられない「二級市民」として、国家への不満が高まっている原因の1つになっている。
宗教[編集]
住民[編集]
- アラブ系クウェート人が45パーセント。
- その他のアラブ人が35パーセント。
- 南アジア系が9パーセント。
言語[編集]
通貨単位[編集]
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は3万6412米ドル(2010年)
外部リンク[編集]
- 政府
- 在日クウェート国大使館
- 日本政府
- 日本外務省 - クウェート
- 在クウェート日本国大使館
- その他
- JCCME - クウェート