サダム・フセイン
サダム・フセイン(Saddam Husayn、1937年4月26日 - 2006年12月30日)は、イラクの政治家、大統領、革命評議会議長。1979年に政権を掌握して独裁者として君臨。イラン・イラク戦争や湾岸戦争を引き起こし、反米活動を繰り返したが、イラク戦争で2003年に政権は崩壊し、一時行方不明になる。最後はアメリカ軍に逮捕され処刑された。
生涯[編集]
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フセインはタクリートの寒村に生まれたが、生まれる前に父親は既に死んでいたので、伯父に匿われて育った。しかし、農業を嫌って家出。バグダッドの高校に通い、学生運動に参加する。1957年にアラブの民主主義を主張するバース党に入党。カイロ大学、バグダッド大学と学歴を重ねながら反政府活動を繰り返して逮捕、投獄され、1959年に当時のイラクを支配していたアブドルカリーム・カースィム政権下において死刑判決が下り、フセインはエジプトに亡命した。
1963年にアブドルカリーム・カースィムが失政の連続からバース党のクーデターを招いて逮捕、公開処刑されるとフセインは帰国。1968年に再度バース党のクーデターが起こるのを機に台頭し、翌年には革命評議会副議長に就任。1979年にアフマド・ハサン・アル・バクルが辞任すると、大統領と革命評議会議長を兼務の形で引き継ぎ、独裁権を確立した。
しかし翌年にはイラン・イラク戦争を開始。フセインは短期決戦を目論んでいたが8年に渡る長期戦になる。1990年8月には隣国のクウェートに侵攻して併合を宣言するが、これはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連などの欧米の大国、アラブ諸国の反発を招いた。
2006年12月30日、イスラム教シーア派住民を虐殺したとして「人道に対する罪」で死刑判決からわずか4日後、バクダッド市内において死刑が執行された。国営テレビなどでその死刑執行の様子が放映された。
政権崩壊後の10年後の様子[編集]
YouTube 動画リンク この動画はインターネットメディアのVICEが取材した映像である。