高坂昌信

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高坂 昌信(こうさか まさのぶ、大永7年(1527年) - 天正6年5月7日1578年6月12日))は、戦国時代武将甲斐武田家家臣。姓名は春日 虎綱(かすが とらつな)とも言われる[1]。『甲陽軍鑑』の原著の作者と伝わる[1]。子に昌澄信達武田四天王武田二十四将の一人に数えられる。

生涯[編集]

天正3年(1575年)5月の長篠の戦いには参加しておらず、合戦で敗北して逃走する武田勝頼信濃駒場で出迎えた[1]。天正6年(1578年)3月に上杉謙信が死去すると、勝頼と共に越後侵攻に参加する[1]。この際、上杉景勝と勝頼との同盟締結を仲介したが、同盟交渉中に病死した[1]。享年52[1]

高坂昌信が登場する作品[編集]

映画
テレビドラマ

脚注[編集]

  1. a b c d e f 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P226

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3