高坂信達

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高坂 信達(こうさか のぶたつ、?(生年月日不詳) - 天正10年7月13日1582年8月1日))は、戦国時代武将甲斐武田家家臣。父は高坂昌信で次男[1]。兄に昌澄、弟に昌定春日 信達(かすが のぶたつ)とも言われる。

生涯[編集]

長兄の昌澄(信澄)が天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで戦死したため世子となり、その3年後に父が死去したため跡を継いだ[1]武田勝頼に仕え、天正7年(1579年)に信濃海津城代から駿河沼津城代に転属して北条氏政と戦った[1]。天正10年(1582年)2月から織田信長徳川家康による武田征伐が始まると駿河にはそれに呼応した北条氏直の軍が攻め込み信達は支えきれずに甲斐に退去したため、勝頼の不興を買って海津城に戻ることになった[1]。そのため勝頼と行動を共にせず、武田家滅亡後は上杉景勝に仕えた[1]。しかし本能寺の変で旧武田領が荒れると氏直と内通しようとしたことが発覚し、景勝により一族もろとも処刑された[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P226

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3