関興
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関 興(かん こう、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。父は関羽。兄弟に関平。子に関統・関彝。字は安国(あんこく)[1]。
生涯[編集]
219年に父が孫権に斬首された際、跡を継いだ[1]。20歳で侍中・中監軍に任命されるが数年後に早世した[1]。幼少期から聡明で評判が高く、諸葛亮もその才能を高く評価したという[1]。
『三国志演義』では関羽の次男として第74回で初登場。曹仁を攻め于禁を捕虜にした父への陣中見舞いに訪れ、父から功労者への働きと恩賞を報告する使者となり成都に引き返したため関羽の処刑に巻き込まれなかった。劉備が関羽の敵討ちとして呉に攻め込むと張飛の長男・張苞と先陣を巡り争う。だが劉備の仲介で張苞と義兄弟の契りを結び(演義上では張苞が1歳上)、呉軍を各地で破って潘璋を斬り青龍偃月刀を取り返した。227年に魏軍と戦った際には谷へ転落するが関羽の霊に助けられて敵将の越吉を討った。231年には魏の名将・張郃と一騎討ちを演じている。しかし長年の戦陣生活で病魔に蝕まれており、234年の最後の北伐の際、すなわち第102回で出陣前に病死を遂げ、諸葛亮はその死を聞いて昏倒した。