成都

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成都(せいと、チョントゥー)とは、中華人民共和国華中地区四川省省都である。重慶の北西270キロの地点に位置し、四川盆地西部の標高500メートルに位置する。人口2000年の時点で214万6000人。略称はという。日本山梨県甲府市姉妹都市提携を結んでいる。成都の名は「川の合流点」を意味する。

概要[編集]

春秋時代の末期に羌族蜀王開明5世が当地に都を定めたことが、この都市の起源である。物産が豊富で「天府の国」と称され、中国でも屈指の穀倉地帯である。の蜀山氏が四川盆地北西部に定住し国都を成都と命名した事に始まり、以降蜀地方の中心となる。紀元前4世紀に征服された際に本格的に都城の建設が行なわれた。

三国志の時代である221年劉備(蜀漢)の皇帝として即位した際、成都は蜀の首都に定められ、繁栄を遂げた。もともとこの地は錦織の名産地として繁栄したことから、その由来により錦城と呼ばれた。五代十国時代には芙蓉栽培が盛んになったことから蓉城とも呼ばれた。中央に成立した王朝が戦乱などで衰退した際、蜀の地は皇帝が避難する地として機能し、一時的に首都になったり、あるいは当地を支配していた人物が自立して王朝を創設した際、首都に選定されることが多かった。

の時代には「揚州は天下第一、益州(蜀)は第二」と謳われるまでになり、第2の都市として繁栄した。その唐が安史の乱黄巣の乱では首都の長安を反乱軍に占領された際、時の皇帝が成都に避難している。の時代にはマルコ・ポーロがその繁栄を賞賛した。

1930年中華民国蒋介石により市に昇格される。四川盆地西部の交通の要衝として、四川盆地東部の要衝である重慶と密接な関係で結びつき、1953年成渝鉄道が、1994年高速道路の開通によって結ばれている。

三国志の主人公である劉備や諸葛亮ゆかりの地であるため名勝や史跡が多く存在し、1982年には歴史文化都市に指定されている。1992年内陸開放都市に指定され、1994年から北西郊外5キロの地点に経済技術開発区の成都現代工業港を設置する。

1994年には劉備の墓と推定される直径560キロの中国最大の墳墓が発見され、1996年10月に南西40キロの新津県竜馬古城遺跡で4500年前の中国最古級と推測される城壁(東西1100メートル、南北600メートル、高さ7メートル)と祭壇が発掘され、長江文明の証ではないかと言われている。北西100キロの臥竜自然保護区周辺はパンダの生息地であり、成都市内にはパンダ繁殖研究基地がある。また、諸葛亮を祀った武侯祠などがある。

中国西南航空の本社が当地にはある。

外部リンク[編集]