野村藩

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野村藩(のむらはん)とは、江戸時代前期と明治時代初期にそれぞれ短期間存在した美濃国である。居城は野村城。藩主家は外様大名織田氏、並びに譜代大名戸田氏。現在の岐阜県揖斐郡野村町に存在した。

概要[編集]

織田信長の実弟で茶人として有名な織田長益の息子・織田長孝豊臣秀吉に仕えて美濃国多芸郡大塚村で500石を知行していた。関ヶ原の戦いで長孝は父と共に東軍に属して功績を立てたので、戦後の慶長6年(1601年)に美濃国大野郡野村に1万石を与えられて野村藩を立藩した。

長孝は父に先立って死去し、その家督は長孝の息子の織田長則が継承するが、寛永8年(1631年)に嗣子無く死去したために野村藩織田家は絶家となり、2代30年で改易となった。

明治元年(1868年)、当時の大垣新田藩主・戸田氏良大垣藩から大野郡野村の所領を与えられ、明治2年(1869年)2月の版籍奉還を経た後、5月に藩を野村藩と改称したので、野村藩が238年ぶりに復活した。明治4年(1871年)の廃藩置県により野村藩は消滅した。

歴代藩主[編集]

織田家[編集]

1万石。外様1600年 - 1631年)。

  1. 織田長孝
  2. 織田長則

戸田家[編集]

1万石→1万3000石。旧譜代1869年 - 1871年)。

  1. 戸田氏良

幕末の領地[編集]