大垣新田藩
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大垣新田藩(おおがきしんでんはん)とは、江戸時代に美濃国に存在した藩である。藩主家は譜代大名の戸田氏。藩庁は大垣新田陣屋。現在の岐阜県揖斐郡大野町に存在した。大垣藩の支藩である。
藩史[編集]
大垣藩主・戸田氏鉄の次男・戸田氏経は明暦元年(1655年)、父から新田4000石を分与された。氏経はこれ以前に三河国渥美郡畑村に所領を持っていたので、合計6200石の旗本となる。
しかし氏経が与えられた新田4000石の治水工事が小身のため困難であることを理由に、寛文4年(1664年)に自ら願い出て別の4000石と交換を求めた。これにより、氏経は美濃国大野郡のうちに10ヶ村を替地として与えられた。寛文12年(1672年)に氏経は隠居し、家督は戸田氏利が継承するが、この際にさらに新田3000石を分与された。さらに三河渥美郡の新田も分与されて所領の合計が1万石になったので氏利は大名に昇格し、ここに大垣新田藩が立藩した。
以後、大垣新田藩は8代にわたって続き、明治維新を迎える。そして最後の藩主・戸田氏良の時である明治元年(1868年)、大垣藩より大野郡野村を与えられた。そして明治2年(1869年)5月、野村藩と改称したので、大垣新田藩は消滅した。
歴代藩主[編集]
- 戸田家
1万石 譜代