赤泊村
赤泊村(あかどまりむら)とは、かつて新潟県佐渡島の南東部、佐渡郡に存在した村である。現在は佐渡市の一部となって消滅している。
概要[編集]
佐渡島の南東部に位置する町で、南東は日本海に面している。
沿革[編集]
明治22年(1889年)4月に市町村制が実施された際に赤泊村が誕生する。昭和34年(1959年)11月に三川村・徳和村・真浦村・川茂村の一部を編入した。
この村の村域は小佐渡丘陵の南部にあたり、丘陵地が全面積の7割余りを占め、平坦地が非常に乏しい。
ただ、この村の歴史は意外に古い。というのも南東端の日本海岸べりに形成されている赤泊の町は越後本土の寺泊港と最短距離にあるため、古くから港町として発展し、鎌倉時代には西隣の真浦と共に真裏津と呼ばれて繁栄したためである。ちなみに北条時宗によって佐渡に流罪とされた日蓮が文永11年(1274年)に許されて本土に向かう船出をしたのはこの赤泊であった。江戸時代になると公津とされて佐渡金山から産出される金銀の積出港として繁栄し、この赤泊は佐渡から本土へ向かう海の玄関として奉行・役人・旅行者などが集まって大いに賑わった。
主な産業としては農業・漁業であり、米や野菜、牡蠣、竹材などが産出され、畜産も行なわれている。
村の見所としては勝蔵院、二ツ岩団三郎ムジナの配下、善達ムジナの伝説が伝わる東光寺、藤原為兼の宿所に当てられたという禅長寺などの古寺をはじめ、五所神社に伝承される御田植神事は国選択の重要無形民俗文化財で、新潟県の指定無形民俗文化財となってもいる。
昭和48年(1973年)には自然を良く残した海と山の景観を持つところから、村自体が自然休養村に指定され、海岸部一帯は絶好の磯釣り場としても有名である。
平成16年(2004年)3月1日、両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町と合併して佐渡市に新設合併されることにより、赤泊村は消滅した。
交通[編集]
路線バス[編集]
五所神社の御田植神事[編集]
川茂にあるい五所神社で、例年2月6日の夜に行なわれる。神事は苗取式、朝飯式、田打式、昼飯式、大足式、田植式、夕飯式の順序で進められる。参加する氏子は7名で、うち6人はシロウトと呼ばれ、黒の紋付き着物に袴を着け、神歌を唄いながら苗取・田打・田植の式に参加する。苗取りと田打の時には小苗打ちといって7歳から15歳の男の子数人がはやしを入れる。最後に朝飯式・昼飯式・夕飯式に供えられた餅を見物客に投げて祭りを終える。豊作祈願行事の一つとして数えられている。