田井中貞利
「 | いつも心に田井中貞利 | 」 | |
──秋山勝彦 |
田井中 貞利 | |
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生誕 | 1953年10月29日(71歳) |
ジャンル | テクノパンク |
担当楽器 | ドラマー |
活動期間 | 1973年 - 1990年 |
田井中貞利(たいなかさだとし)とは、P-MODELの初代ドラマーである。
概要[編集]
マンドレイクとP-MODEL、此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンドのオリジナルメンバーである。P-MODELのオリジナルメンバーの中で、唯一東京都外、出身である。
田井中のドラムは、勢いがあり、『お母さんに怒られているようなメゾットがある(秋山談)』。
平沢は、「田井中」は発音しづらいため「カイナタさん」と呼んでいた[1]。
秋山勝彦によると、ファンからの贈り物を大切していて、プレゼントされたタオルをLIVEで、見えるように首に掛けていた。またLIVEが終了したら、タオルをきちんと畳んでバックに入れていた[2]。
彼が作曲した楽曲「カナリアの籠展開図ぐるりと回る360度期待は記憶気のどくだねオゾノコブラノスキー」は、レコードやCDに収録されず、同名のライヴで1回演奏したのみで没になった。
また「SCUBA (SCUBA収録)」には田井中による詩があったが、これも没になっており、インスト曲となった。
来歴[編集]
1973年にマンドレイクのメンバー募集の張り紙を楽器店に張ったところ、田井中が応募して来て、正式メンバーになる[3]。
1979年1月1日に、田井中貞利の家でマンドレイク解散P-MODEL結成会議を行なう[4]。
1987年3月に開催されたコンサート「進化の奇跡 ガラパゴス島の待ち伏せ男」で、荒木がガラパゴス諸島に残りたいという理由で脱退し、田井中がPART2として再加入。
1990年9月23日に行われたライブ・イベント「ERROR FORCE」で音楽活動を辞める。
改訂期には、田井中貞利をモデルにしたバーチュアルドラマー「TAINACO」がメンバーになった。
1999年、フィギュア屋「からくり屋」を開店されるが、2000年に閉店した。
2000年以降、音信不通になっていたが、2012年に生存が確認された。
ディスコグラフィー[編集]
- マンドレイク
- アルバム
- 飾り窓の出来事 (1984)
- Unreleased materials vol.1 (1997)
- Unreleased materials vol.1 (1997)
- アルバム
- P-MODEL
- シングル
- 美術館で会った人だろ (1979)
- KAMEARI POP (1979)
- ミサイル (1980)
- ジャングルベッドII (1981)
- Demo (1994)
- アルバム
- IN A MODEL ROOM (1979)
- LANDSALE (1980)
- POTPOURRI (1981)
- PERSPECTIVE (1983)
- 不許可曲集 (1983)
- ANOTHER GAME (1984)
- REBEL STREET (1982)
- P-TRICK PLAN (2020)
- 映像作品
- 三界の人体地図 (1988)
- BITMAP 1979-1992 (1992)
- シングル
外部リンク[編集]
- からくり屋のホームページ - ウェイバックマシン(1999年10月6日アーカイブ分)
脚注[編集]
- 出典
- ↑ 平沢進 [@hirasawa]. “「田井中」は発音しづらいので”. 2023年11月16日確認。
- ↑ 秋山勝彦 [@kakiyam00970758]. “序でに(すまん!笑)”. 2023年11月16日確認。
- ↑ 平沢進 [@hirasawa]. “MANFRAKEはどのように結成されましたか?”. 2023年11月16日確認。
- ↑ 平沢進 [@hirasawa]. “1979年の正月に、田井中貞利の家でマンドレイク解散P-MODEL結成会議をやって以来、無い。”. 2023年11月16日確認。