田井中貞利
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──秋山勝彦 |
田井中貞利(たいなかさだとし)とは、P-MODELの初代ドラマーである。
概要[編集]
マンドレイクとP-MODEL、此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンドのオリジナルメンバーである。P-MODELのオリジナルメンバーの中で、唯一東京都外、出身である。
田井中のドラムは、勢いがあり、『お母さんに怒られているようなメゾットがある(秋山談)』。
平沢は、「田井中」は発音しづらいため「カイナタさん」と呼んでいた[1]。
秋山勝彦によると、ファンからの贈り物を大切していて、プレゼントされたタオルをLIVEで、見えるように首に掛けていた。またLIVEが終了したら、タオルをきちんと畳んでバックに入れていた[2]。
来歴[編集]
1973年にマンドレイクのメンバー募集の張り紙を楽器店に張ったところ、田井中が応募して来て、正式メンバーになる[3]。
1979年の1月に、田井中貞利の家でマンドレイク解散P-MODEL結成会議を行なう[4]。
1987年3月に開催されたコンサート「進化の奇跡 ガラパゴス島の待ち伏せ男」で、荒木がガラパゴス諸島に残りたいという理由で脱退し、田井中がPART2として再加入。
1990年9月23日に行われたライブ・イベント「ERROR FORCE」で音楽活動を辞める。
改訂期には、田井中貞利をモデルにしたバーチャルドラマー「TAINACO」がメンバーになった。
1999年、フィギュア屋「からくり屋」を開店されるが、2000年に閉店した。
2000年以降、音信不通になっていたが、2012年に生存が確認された。
ディスコグラフィー[編集]
- P-MODEL
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- 出典