中野サンプラザ騒動
中野サンプラザ騒動は、1980年に起きたP-MODELとヒカシュー、そしてライヴの主催者を巡る騒動である。
概要[編集]
1980年4月7日、ヒカシューとP-MODELのジョイントコンサート『Power'80』が中野サンプラザにて行われた 。
このライヴでは主催者と両バンド間で、「ダンサーをつける」や「アンコールを行わない」などといった取り決めがあったが、観客の一部はアンコールを求め、会場に残っていた。
するとP-MODELが演奏を始めるも、牧元はマイクスタンドを奪い演奏を妨害した。P-MODELは演奏を中止し、リーダーの平沢がメガホンで謝罪する事態になった。
秋山は「明日の模試 どうするかな?・・・」と早く帰りたかったとしている[1]。
ステージ袖ではレコード会社社員が「おれはクビだー」を怒鳴りつけた。平沢の兄であるYOU1はこれに対し「うるせー」言い返した[2]。
楽屋では、80年代の業界人が平沢に「お前らは偉い先生の顔を潰してくれた。この業界から消してやるから覚えてろ」という脅しを受けた[3]。
その後[編集]
この事件の影響で、P-MODEL・ヒカシューとの不仲説が囁かれるようになった[4]。
然し、1週間後に両グループがラジオで仲良く共演しており[5]、「世間は騒いでますねえ」と平沢と巻上は笑い合った[6]。
1990年にP-MODELが主催したライヴ『ERROR FORCE』でヒカシューがゲスト出演している。
2016年12月25日にはヒカシューのライヴ「ヒカシューの絶景クリスマス」に平沢進がゲスト出演した。
巻上は後のインタヴューで「毎回喧嘩をしたほうががいいのかと思うくらい盛り上がりましたね(笑)」とコメントしている[4]。
2024年の映画「温泉シャーク」では、巻上が出演しており、音響として平沢も参加した。
脚注[編集]
- ↑ 秋山勝彦 (2016年11月3日). “疎外かよ?!”. 秋山勝彦の宅録日記. 2016年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月7日確認。
- ↑ 平沢進 [@hirasawa]. “サンプラ事件の日”. 2024年7月27日確認。
- ↑ 平沢進 [@hirasawa]. “その日ヒラサワに向かって”. 2024年7月27日確認。
- ↑ a b 巻上公一 (2018年1月31日). 何度でもその素晴らしい景色へ──ヒカシュー、ライヴ音源『絶景』好評配信記念! 巻上公一が語るあの日の夜. インタビュアー:西澤裕郎. OTOTOY. 2024年4月7日閲覧。
- ↑ 平沢進 [@hirasawa] (2013年4月29日). “誤解してはいけない。”. 2024年4月7日確認。
- ↑ 平沢進 [@hirasawa]. “「サンプラ事件」と称される出来事については以前にTw(hz)した通り。”. 2024年7月27日確認。