「エンペディア」の版間の差分
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人種差別やカルトを支持している利用者が存在する。 | |||
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2018-08-21T19:23:28時点における版
エンペディアのロゴ「ミヤコ様」 | |
開設 | 2011年 |
---|---|
ウィキシステム | MediaWiki |
分野 | 百科事典もどき[1] |
言語 | 日本語 |
サーバー所在国 | 日本 |
使用時刻 | 日本標準時(JST) |
現状 | 記事増加中 |
エンペディア (Enpedia) は、誰でも利用できる "謎の百科事典もどき" ウェブサイト。今あなたが見ているサイトである。
ウィキペディア日本語版(以下「ウィキペディア」)と同じMediaWikiによって稼働しているため、サイトの構造もよく似ているが、姉妹サイトやパクリサイトではない。むしろ、「ウィキペディア」や「アンサイクロペディア」といった、既存の有名な百科事典サイトと異なる方向性を模索することを目的としている[2]。
人種差別やカルトを支持している利用者が存在する。
概要
厳格化した方針故に掲載可能な情報の範囲に限界が生じているウィキペディアの問題を意識し、分かりやすさと自由気ままをモットーとする寛容な管理方針を特徴とする。また、似たように自由なウィキサイトとして挙げられつつも、誹謗中傷や転載、荒らしなどによって荒廃しているユアペディアのことは反面教師としている。ただ、一方のユアペディアからは記事を丸々パクられるという被害が加えられている。
似たサイトとして運営方針が曖昧かつ自由気ままなウィークペディアというサイトが挙げられる(現在は閉鎖)。これはエンペディアと同様に自由度の高い実験的なサイトを銘打って設立されたという似通った背景を持ちつつも、同サイトでは運営関連文書にてエンペディアと似て非なるものとする記述が複数存在する[3]。
なお、当初はニコニコ大百科の編集が有料であるため無料で編集できる場所を確保する目的や、ネタサイトであるアンサイクロペディアでのネタの枯渇から休養する目的もあったと言われている。その他、エンペディアは頻繁にMediaWikiソフトウェアのアップデートが行われていることも特長の一つに挙げられる。
サイト内の記事においても過疎ペディアと呼ばれる人気のない百科事典ウィキサイトの代表として位置付けられており、話題性はあまりないが、一度Yahoo! ニュースからふじみ野暴力団抗争事件の記事にリンクされたことがあり、これによって1分当たり100回以上のアクセスが発生してアクセス不能に陥ったことがあるという。これに対しては対策がなされ、再びYahoo! ニュースからリンクがされるも被害は出なかった。
「エンペディア」という名前の由来は定かではないとされるが、現在の運営関連文書では百科事典を意味する英語であるEncyclopedia(エンサイクロペディア)の略から取られていると説明されている。当初はアンサイクロペディア上に「アンサイクロペディアやウィキペディアから追放された人々が行きつくサイト」という設定で存在する架空のウィキサイト「エンサイクロペディア」が元であるとされていたが、後に利用者同士による議論の上で前者の説が正式に採用され、運営関連文書ではエンペディアが後者の架空のウェブサイトとは一切の関係がないことを明言している。
特色
記事に関してはサブカルチャー関連の記事が多く、加えてサッカー関連の記事も全体と比較して多いと考えられる。このように特定分野向けの記事が多い一方で一般向けの記事が少ないことや、短めの記事が多いことも特徴として挙げることができる。
ヤツデの葉に「Enpedia」と書き込まれた写真をロゴとして用いており、これを「ミヤコ様」と名付けている。個人サイトとして運営されていた時期はジグソーパズルのピースをさいころの5の目の形に5つ並べた画像をロゴとしていたが、これはアンサイクロペディアの記事に用いられていた画像を改変して流用したと考えられており、著作権の問題から現在のものを採用するに至ったとされている。エンペディアはこれ以外にも多くの著作権に関する問題に悩まされており、最終的には解決のために新しくサイトを作り直して移転したほどに大掛かりな解決策を必要とするものだったと見られる。移転前の旧エンペディア跡地ではこの現行のロゴを枯葉の姿に変えて表示している。
移転に際しては旧サイトに作成された記事も移転する措置が取られたが、これには執筆者の同意が必要とされ、編集者全員の同意が取れなかった記事に関しては移行を断念・保留されたか、同意した編集者の編集内容のみを移転する仕組み(切り捨てインポート、編集インポート)が採られるようになっている。なお、エンペディアのバージョンは現在に至るまでに移転を重ねて2代目と3代目を生み出しており、更には初代の時期にも外装に異常が出たことから避難を目的として一時的に「プロトタイプ・エンペディア」なるサイトが設置されていたことが分かっている。著作権ライセンスの問題が残る2代目以前の旧エンペディアは一時期に限り公開されていたものの後には閉鎖され、現在は閲覧のために特殊な権限を要するようになっている。なお、これら複数のデータベース間では同一のアカウントでログインできる統一ログイン機能(CentralAuth)が導入されており、これによってエンペディアでは別々のデータベース間で権限などを引き継げるようになっている(グローバル権限)と考えられる。
エンペディア上での特徴的な役職としては「スタッフ」というものが代表的である。スタッフは運営上の問題を解決する目的で特殊な操作を行う権限を持つ。特殊な操作の例としては利用者の不正調査、ウィキソフトウェアの設定変更、データベースへのアクセスなど、エンペディアの運営に大きな影響力を持つものが多く挙げられる。これらは一般利用者たちの合意によって任命・解任されることはないと規定される。また、かつてはデータベース運営者専用の「ウェブマスター」、設立者専用の「創設者」などといった役職が存在したが、これらは現在の「スタッフ」に統合されている。スタッフそのものにおいても、かつては「上級スタッフ」「一般スタッフ」「技術スタッフ」「運営スタッフ」「特別スタッフ」と部門が細かく分けられていたが、現在は権限などが整理され「最上位スタッフ」「上位スタッフ」「一般スタッフ」の3区分となっている。他の特殊な役職としては、閉鎖された旧エンペディアを閲覧する権限をコミュニティの合意と管理スタッフの承認によって一般ユーザーに与える「閲覧者」というものが挙げられるが、こういった役職においても旧エンペディアでの編集行為は基本的に禁止されていることに留意する必要がある[4]。
経歴
初代 (1st Enpedia)
2009年4月21日に最初のエンペディア(1st Enpedia)がmyht.orgドメイン(無料のレンタルサービスであるマイサイト・ユーザーズによるもの)にて設立、8月9日に正式に公開されたとされる。当初のサイトは現行のものと大きく違い、MediaWikiの実験的利用のために設立された個人サイトとして稼働していたとされる。この形でしばらく運営が続けられた後、他サイトで方針違反を理由に削除されつつある有用な情報の収集やそれらの情報に対する補足を行うという方針のもと実用化に向けてのサイト制作を開始したという。
しかしながら、そういった途上においては同年8月12日に大規模なスパム攻撃の被害が続出。当時の運営者は翌年の2010年2月8日に管理者以外の編集やアカウント作成を一切禁止するなどの措置を取ったが、6月16日に数人の利用者に管理者権限を付与して活動を停止した。なお、この時も大規模なスパム被害は継続しており、任命された管理者の数人は多くのページに個別で半保護処置(未登録ユーザーの編集を禁止する処置)を行うという苦労の掛かる作業に追われた。このスパムは未だに出現することがあるという。
当初の管理者任命形式は、かつて同様の形式を採用していたアンサイクロペディアでは「お札降り型」と呼ばれたものだが、後には残りの利用者たちの間で選挙による任命制度が制定され、正式な管理者の選出がやり直された。以降は運営方式を個人によるものからコミュニティによるものへと移行し、数々の具体的な方針に関して議論が重ねられることによってサイトの運営方法が明確に固まって行った。
2代目 (2nd Enpedia)
運営体制の変化があった後、エンペディアの諸問題を解決するために 1st を複製した新たなエンペディア(2nd Enpedia)が2010年の11月30日に設立される。残された初代エンペディアは合意によって編集禁止措置が取られ、新たな運営者がウェブマスターという役職に就いた。スタッフという役職が制定されたのはこの時で、この時のスタッフはウェブマスターを補助する役割を持っている。
なお、この頃には、2011年7月4日に偽物のエンペディア(enpedia1.myht.org)が設立されていたことが発覚したが、現運営者の通報を経てmyht.orgの管理者による閉鎖処置がとられている。
また、2011年に入って初代エンペディアの設立者が活動を再開。この時の初代運営者は運営に関して特殊な権限は持たなかったが、設立者としての地位を引き続き持つものとして「創設者」という役職を与えられた。また、初代設立者が当時の運営者に対してエンペディアに関する全権限を移譲するという宣言を行ったことや、併せてライセンス(CC-BY-SA 3.0 Unported)の一律適用が決定したことから、2代目の問題を解決する目的で3代目エンペディア(3rd Enpedia)の新たな作成・移転が決定したと同時に、この時の運営者が初代から3代目まで全エンペディアの運営者として制定されることとなった。エンペディアのrxy.jpドメイン完全移行や、初代から3代目までのデータベース共有化・統一ログイン導入が決定したのもこの時となる。移行の準備は着々と進み、様々な運営方針が合意によって正式化される中、2代目から3代目への記事の移行も開始。やがて2013年1月1日には3代目への完全移行が果たされ、2代目以前のエンペディアは閉鎖された。
現エンペディア (3代目、3rd Enpedia)
2013年
これまでのrxy.jpドメインはマイサイト・ユーザーズの独自ドメイン設定によるものだったが、2013年4月6日には運営者の所有するVPSによるものへと移行が行われた。これによってエンペディアの表示速度は格段に向上したと考えられる。
2代目からの記事の移行において、編集インポートと切り捨てインポートが可能となったのはこの時期(具体的には2013年9月30日)となる。また、それまで初代と2代目のエンペディアは「enpedia.rxy.jp/1st/」、或いは「enpedia.rxy.jp/2nd/」にデータベースが置かれていたが、これらがold-enpedia.rxy.jp(サブドメイン形式)に統一されたのもこの時(2013年11月9日)となる。
12月14日、Enpedia:追加権限保有審査が正式化された。
2014年
2014年2月2日に記事数1,000本を達成した後、11月2日にはこの時の運営を担当する役職である最上位スタッフを当時の運営者が辞任し、他のスタッフが最上位スタッフに任命された。12月26日には元の運営者がまた最上位スタッフに復帰するが、新たに任命された最上位スタッフもその役職に引き続き留まり、以降の運営者は特定の一人ではなく最上位スタッフに任命された複数人という形になる。一方、5月にはカテゴリの数があまりに多すぎてサーバーメンテナンス時に致命的な事態となったので、所属ページ数が5ページ未満となるカテゴリは作成しない、などのEnpedia:カテゴリの運用方針が制定された。
10月1日から試験的に広告が導入された。さらに、11月8日にはポータルの運用が開始したほか、12月1日には形式の自由な読み物の置き場となるEnbooks(仮)の試験運用が開始し、他の人気百科事典サイトに見られるような機能が次々と新たに備わり始めていた。12月26日、エンペディアはIPv6に対応した。
2015年
1月、{{スタブ}}が廃止され、{{書きかけ}}のみとなった。5月1日、記事数が5000項目を突破すると、2カ月も経たないうちに2倍の1万項目に到達した。12月14日には無事、ビューロクラット、チェックユーザー、オーバーサイトの条件について決まった。
2016年
7月8日、フォーラム:エンペディアは「謎の百科事典もどき」なのかにて、正式にエンペディアが「謎の百科事典もどき」だと決定した。11月23日、エスケープ転載の方針が決定した。12月8日、Enpedia:おすすめ項目 (仮)が導入された。ただし、エンペディアの特質上、選考なしで各自でどんどん良いと思った記事を書き足していく形式となった。
2017年
4月22日、Enbooks(仮)がよみものプロジェクトとして正式リリースされた。5月、サーバーの移転のため、一部の機能が使用できなくなった。9月28日、記事数は2万に達した。
2018年
1月1日、現エンペディア設立5周年となったため、2代目エンペディアでCC-BY-SAライセンスでの使用許諾が得られていない利用者の投稿は全て切り捨てインポートされる方針となった。同日、前年のサーバー移転以降無効になっていたメール機能が再び使用できるようになった。 3月14日、ホワイトデーのこの日に転送ページなどの総ページ数が30,000ページに達した。記念すべき30,000ページ目は大阪タイガース (転送ページ) 。
この年はエンペディアの新しい顔が数多く現れた年でもある[独自研究?]。
脚注
- ↑ 漢字表記の「百科事典擬き」は使われない
- ↑ Enpedia:エンペディアについて
- ↑ Weekpedia:ウィークペディアは何でないか(リンク切れ)、Weekpedia:Weekpediaについて(リンク切れ)
- ↑ Enpedia:旧エンペディアについて