棚橋泰助

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棚橋 泰助(たなはし たいすけ、1922年 - 2010年4月17日)は、元社会党都議[1][2]

略歴[編集]

1922年兵庫県洲本市生まれ[3]。労働運動家・政治家の棚橋小虎の息子[4]。1951年東京大学文学部中退[3]産業労働調査会労働調査協議会を経て、東京都議会議員[5]。1985年東京都議会議員選挙には出馬せず引退[1]。2010年4月17日に肺炎のため死去、87歳[2]

人物[編集]

  • 1957~58年当時、産業労働調査会(戦前の産業労働調査所の後身)の運営にあたっていた。棚橋が辞めた後は片桐薫が引き継いだ[4]
  • 1959年時点で産業労働調査会勤務[3]。1965年時点で労働調査協議会勤務[6]
  • 日本共産党員。共産党内の革新派・反対派は1959年9月に開催された第5回東京都党会議で安東仁兵衛、棚橋泰助、小川太郎を東京都委員に送り込んだが[7]、3名は1961年7月に除名された[8]
  • 加藤宣幸が創刊したメールマガジン「オルタ広場」の第16号(2005年)、第34号(2006年)に書評を寄せている[9]

著書[編集]

  • 『戦後労働運動史』 大月書店、1959年
  • 『講座現代の政治 第2 現代における国家と革命』 柴田高好津田道夫、森川英正、池山重朗直原弘道共著、合同出版社、1962年
  • 『日本の産業別組合――その生成と運動の展開』 岡崎三郎ほか共著、総合労働研究所、1971年

出典[編集]

  1. a b 東京都議会議員選挙結果:西東京市選挙区 政治情報ライブラリ
  2. a b 今週の政界訃報案内 その5 5ちゃんねる
  3. a b c 棚橋泰助『戦後労働運動史』大月書店、1959年
  4. a b 安藤紀典「片桐薫さんを偲ぶフロント(社会主義同盟)機関誌『先駆』859号、2010年3月
  5. 岡崎三郎ほか著『日本の産業別組合――その生成と運動の展開』総合労働研究所、1971年
  6. 季刊労働法57号(1965/秋季) 株式会社労働開発研究会
  7. 小山弘健『戦後日本共産党史』芳賀書店、1966年
  8. 思想運動研究所編『日本共産党事典 資科編』全貌社、1978年
  9. 棚橋 泰助 一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ広場」