板橋藩
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板橋藩(いたばしはん)は、江戸時代前期のわずかな期間だけ下野国都賀郡板橋(現在の栃木県日光市(旧今市市)板橋)に存在した藩である。
概要[編集]
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いの際、松平近正は鳥居元忠や松平家忠らと共に伏見城に籠城し、石田三成や宇喜多秀家らの西軍と戦って奮戦の末、戦死した。その功績により、近正の嫡男・一生は上野国三之倉5500石から下野国板橋1万石に加増移封されて大名に昇格し、板橋藩が立藩した。
一生は徳川家康に仕え、慶長7年(1602年)の常陸国の佐竹義宣の久保田藩移封の際には水戸城の守衛を担当した。慶長9年(1604年)に一生は死去し、第2代藩主は子の成重が継承した。成重は慶長19年(1614年)の里見忠義の改易の際に城受け取りの任務などを果たし、さらに同年からの大坂の陣にも参戦して功績を立てたため、元和3年(1617年)に1万石を加増されて三河国西尾藩に移封となり、板橋藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 松平(大給)家
譜代。1万石。