木舟城
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木舟城(きふねじょう)とは、現在の富山県高岡市福岡町木舟にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
現在の福岡駅の南西およそ2キロの水田の中の小さな2つの小高い丘が、かつての木舟城跡と言われている。
この城は源平合戦の頃の元暦元年(1184年)に福光城主の石黒光弘(太郎)が築城したとされ、以後は石黒氏の歴代が居城として福光の石黒氏と共に勢威を張った。
安土桃山時代の天正2年(1574年)に、越後の上杉謙信による侵攻を受け、当時の城主である石黒藤兵衛は神保氏と協力して防戦するも落城する。その後、石黒左近が城主となり、謙信が急死すると織田信長と手を結んで勢力を取り戻した。ところが、石黒氏は謙信の後継者である景勝に内通したことから、天正8年(1580年)に近江長浜城に呼び出されて信長に誅殺された。
信長の没後、木舟城は越中国主である佐々成政の一族・平左衛門が天正12年(1584年)に城主に任命された。しかし天正13年(1585年)の豊臣秀吉の越中征伐で平左衛門は木舟城を放棄して富山城に撤退した。その後、成政が降伏して越中の大半が前田利家の所領となると、利家は弟の前田秀継を木舟城主に任命した。だが、天正13年11月29日(1586年1月18日)の天正地震において秀継は圧死する。秀継の遺児・利秀は今石動城を新たな居城としたことから、木舟城は廃城となった。
富山県の史跡に指定されている。