今石動城

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今石動城(いまいするぎじょう)とは、現在の富山県小矢部市城山町にかつて存在した日本である。現在は城山公園となっている。

概要[編集]

現在の石動駅の南、およそ1.5キロの城山(白馬山)山頂にあったとされる山城である。

安土桃山時代織田信長の死後に天下の覇権を握りつつあった豊臣秀吉に反抗する越中国佐々成政を牽制するため、秀吉の武将である前田利家は実弟の前田秀継に今石動城を築いて城主に任命した。同年のに秀吉の越中征伐が行なわれて成政が降伏すると、秀継は木舟城を新たな居城として移り、今石動城は秀継の子である前田利秀が居城とした。文禄2年(1593年)に利秀が死去すると、家臣の篠島織部城代として在城したが、間もなく廃城となった。

現在は城を伝える遺構は残っていない。ただ標高188メートルの山頂に、東西約36メートル、南北約24メートルの平地が本丸跡だったと見られることから、なかなかの堅城だったようであり、ここからは砺波平野を一望することができる。山の中腹は城山公園として整備され、園地には消防神社、神武天皇像、聖天堂、芭蕉句碑などがあり、聖天堂下の台地には昭和50年(1975年)に造成された白馬山遊園地がある。

城跡はの名所として知られ、小矢部市民の散策地、憩いの場として親しまれている。

アクセス[編集]

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