戸沢氏
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戸沢氏(とざわし)とは、日本の氏族である。安土桃山時代までは東北地方の小大名として君臨し、江戸時代には幕藩体制下の外様大名として出羽新庄藩6万石を支配した。家紋は細輪に九曜。家格は城主。江戸城内の詰間は帝鑑間。居城は出羽国真室城(鮭延城)、後に同角館城、常陸国松岡城、出羽新庄城と移った。
概要[編集]
桓武平氏の支流とされる。陸奥国北部の小大名であったが、安土桃山時代に名将・戸沢盛安、人呼んで「鬼九郎」が現れて勢力を拡大。さらに天正18年(1590年)の小田原征伐にいち早く参加して豊臣秀吉から所領を安堵されたことにより、近世大名として生き残ることになった。ただし、盛安はこの小田原征伐の際に病死している。
盛安の子・戸沢政盛は秀吉没後、覇権を握りつつあった徳川家康に接近。家康の家臣・鳥居氏と縁戚関係を結び、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて西軍の上杉景勝と戦ったことにより、戦後に出羽角館藩主となり、居城は真室城に構えた。後に常陸国松岡藩に移り、元和8年(1622年)に6万石に加増された上で、出羽新庄藩に入封して、以後明治維新まで戸沢氏の支配が続いた。
戸沢氏は外様大名であったが、鳥居氏との縁戚関係から譜代大名の待遇(準譜代大名)を受け、江戸城の詰間も帝鑑間になるなど厚遇された。慶応4年(1868年)の戊辰戦争においては明治政府についたことから、奥羽越列藩同盟の攻撃を受けて新庄城は落城した。
明治17年(1884年)の華族令によって、戸沢氏は子爵に列した。
系譜[編集]
戸沢氏
平高望 ┃ 貞盛 ┃ 維衡 ┃ 正度 ┃ 正衡 ┃ 正盛 ┣━━━┓ 忠盛 忠正 ┃ ┃ 清盛 通正 ┏━━━┛ 衡盛住滴石 ┃ 戸沢兼盛戸沢氏祖 飛騨守 ┣━━━━┳━━━━┓ 親盛飛騨守 盛正住小館 兼任住中館 ┃ 克盛 ┣━━━━━━┓ 勝盛飛騨守 長盛 久盛 ┃ 玄盛治部大輔 飛騨守 ┣━━━━━━━┓ 英盛治部大輔 飛騨守 長盛住小館 ┃ 氏盛治部大輔 飛騨守 ┣━━━━━┓ 伊盛上総介 行盛住横田城 ┃ ┃ 豊盛治部大輔 泰盛治部少輔 飛騨守 ┃ 家盛移住角館城 上総介 飛騨守 ┣━━━━━┓ 久盛飛騨守 盛芳住大曲城 安房守 ┃ 寿盛 ┣━━━━━━━━┳━━━━━━━━┓ 征盛治部大輔 飛騨守 頼盛住門屋城 宮内大輔 長峰嗣小笠原氏 ┃ ┃ (征盛流) ┃ ┏━━━━━━┳━━┻━━┳━━━━━━┓ 宗盛門屋宮内大輔 盛定大関周防守 盛実西館左京亮 盛直
征盛流
戸沢征盛 ┣━━━━━━━┳━━━━━━━━━┓ 秀盛飛騨守 忠盛住淀川城 淀川上総介 正重安房守 ┏┻━━━━━━┓┗━━━┳━━┓ │ 女豊島城主畠山氏室 道盛飛騨守 盛門 盛行 盛重 ┏━━┳━━┳━┻┳━━┓ ┏━━┫ 盛重 深盛 盛安 光盛 盛吉 盛綱 盛常 治部大輔 能登守 左兵衛尉 ┏━━━━━┛ ┃ 政盛右京亮 盛忠 鳥居左京亮 ┣━━━━┳━━━━━━━━━┓ ┃ 乗盛能登守 正誠能登守 上総介 女=定盛越中守 ┏━┳━━┻───┐ 正武 ┃ 正庸大和守 下野守 上総介 中務大輔 ┃ ┌──┳━┻┳━━━┳━━┳━━┳━━┓ 女=正成 正賀 正勝 正諶 庸祝 正備 正愛 筑前守 下野守 上総介 上総介 ┃ ┏━━━━━━━┫ ┃ 正産能登守 上総介 正良主計頭 正親上総介 ┏━━━━━━━━━┛ 正胤大和守 右京亮 ┏━━┳━━━━┳━┻┳━━┳━━━┓ 正賜 正令能登守 正啓 正紀 正彬 楢岡信之助 ┣━━━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┓ 正実 本多忠貫 中条信汎 戸田直一 正時 上総介 中務大輔 伊予守 河内守 ┣━━┓ 正定 富寿
- 参考
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- 『戸沢家譜』
- 『武家家伝 戸沢氏』